いま考えればへんてこな戦後事情。

 戦前は出征前に結婚させる家庭がかなりあったそうです。嫁を持たせ、女を知れば生還への思いが強まると考えたのでしょうか?。当時の事情はもう確認しようありませんが、そんなわけで新婚早々に夫が出征し、戦死して未亡人になった若い女性がかなりいました。夫の戦死で後家さんになったからといって実家へ帰す事も出来ずに、弟と改めて夫婦となる事もありました。
 悪い事に?、戦死が誤報で兄が復員して帰ってきたけど、その時には弟との間に子供も出来ていて、元の鞘に戻る事もできないという笑うに笑えない事もあったと聞きました。
 なぜそんな事をしたかといえば、大多数の貧しい水のみ百姓では嫁に出すのは口減らしの意味がありました。また嫁とりは、機械力の無い時代の労働力の強化だったのです。だから、兄が死んでも嫁を実家に帰すのは、実家、婚家共に損失であり、兄嫁と弟の結婚は合理的な帰結だったのです。

 それから、戦後にはこんな事もありました。進駐軍の上級将校は住まいとして元貴族などの屋敷を接収して住んだといいます。それだけでなく、戦前はお姫様とかお嬢様とか呼ばれたその家の女性が、日本人妻として上級将校の夜を慰めたとも言われました。
 街角に立つ街娼が兵隊に好かれて特定の米兵の世話をする様になると『オンリーさん』と言われ、街娼仲間からうらやましがられたそうです。そう言えば、インドでイギリス人は『ナイトディクショナリー』と呼ぶ女性を雇ったそうです。勿論、夜のお相手をする女性です。夜伽で自然とヒンディー語を覚えるからでしょうか。それとも、辞書を見ていると眠くなるからでしょうか。

 また、新聞社の主催により多摩川で集団見合いが催された事もあったそうです。ただ、復員した若い男には職が無く、生活の安定を考えると相手は中高年だったと聞きました。子連れの未亡人など仕方なくそんな人と結婚したそうです。
 男女の関係には、愛よりも生活優先の時もあると思います。愛の無い結婚や、愛の無い結婚から愛が芽生えたり、愛しているのにすれ違ってしまう。私はそんな愛の不条理を著してみたいのです。