髪は増えてないが元気になった ❓

 『まだ死んでいません』歳をとると、感動する事が少なくなり、長らくお休みしていました。そして、感動的な事がありましたのでこうして書いています。それは何かというと、髪のこ事す。

 今年の2月上旬、約3ヶ月ぶりに髪を切りに行きました。長く伸びた髪が頭皮に貼りつく様にペタリとしています。
 髪を切ってサッパリとはしましたが、家で鏡に映った髪は切る前のようにペタリと頭皮に貼りついています。内心(約3ヶ月ぶりの長い髪を切ったのだから生え際くらい立ち上がれよ)と思いました。

 あまりの情けなさに布団に入ってもなかなか寝付けませんでした。そして突然『総毛立つ』という言葉がひらめきました。あまりの恐ろしさに全身の毛が立つという事ですね。
 猫などが全身の毛を逆立てる様に、人間にもそんな防御反応があるのだが、安全な生活でほとんど忘れられているんだと思いました。
 そして、歌まね芸人のコロッケさんの事を思い出しました。コロッケさんは顔だけでなく髪の毛まで動かせて、髪の毛も多いのです。

 栄養分の少ない石灰岩の大地では植物も育ちにくいでしょう。頭蓋骨の上の薄い頭皮では髪も育たないだろうと思いました。
 多分、私の頭蓋骨には薄い筋肉と頭皮しか無いのだと思って、コロッケさんの様に髪の毛を動かせるほどに頭の筋肉を鍛えたら、少なくとも前髪くらいは立ち上がるだろうと考えました。
 でも、頭皮を動かすというのは大変な事でした。顔をクシャクシャにしても頭皮はなかなか動きません。それでも仰向けに寝て眉毛を思い切り持ち上げると、毛の生え際あたりの頭皮が少し動く気がしました。

 それからほぼ3ヶ月。前髪が立ち上がり、女房も「アレ?少し変わったかも」と言いました。
 そろそろ髪を切りに行かなくては思い、前髪に手を当てると。今までは廊下に濡れ雑巾みたいだった額が、廊下に玄関マットくらいに感じられます。
 今はまだ、コロッケさんみたいに髪の毛を動かす事はできませんが、仰向けに寝て眉毛を動かすと、頭皮の筋肉が動いているのが判ります。
 皆様の中に髪の毛を気にしている方がおれれましたら、頭皮を動かしてみてください。数か月後には、あるいは良い結果が出る方もおられると思います。

母であり、妻であり、娘であること。

 コロナ感染者が急速な勢いで増えている。政治家の言う事は『群れるのが悪い。飲み屋で酒を飲むのが悪い。ETC・etc』だ。脳無しの集合体どもめ。
 政治家だって夜には酒を飲むだろう。しかも、我々とは違うステージ(少人数で呑める部屋飲み)で。ふざけんなよ、庶民には群れずに飲める所に行く金がね~んだ。
 まあ、理由はそれだけじゃあない。家に帰っても心おもむく様な酒が呑めね~んだ。家では仕事モードから日常モードに切り替える呑み方ができね~んだよ。
 
 仕事をすれば、心に仕事上のやりきれない澱が溜まる。澱はまともには流れていかね~んだよ。かき回せば澱は余計に気に障るし、放っておいたら溶けて流れるものでもないし、そのままにしといたら次の澱が上に積もってしまうんだよ!!。
 女のいる店で馬鹿言って、上司の悪口や取引先の悪口言って、騒いで澱を流すのはかき回して流す方法だけど、心は意外とスッキリしねえ。
 本当なら、静かに好きな音楽をかけて、聴くとはなしに聞きながら目をウルウルさせて澱を溶かす方がいいんだ。涙には目を浄化させる機能があるけど、心も浄化するんだ。
 
 ところが、家にはこれが無い。本当なら女房に黙って傍にいてもらうだけでもいいし、心の落ち着く話しを語り合ってもいいんだ。新婚時代を笑って話し合えればなおいい。だけど、帰宅早々、女房からは会社以上の現実問題を突きつけられる。
 涙を流す間もなく、仕事の澱も加わって一気に怒りモードに達する事もしばしばで、夫婦仲もこれまでかと思う様な喧嘩になる事もある。せめて帰宅直後は、母親の様な気持ちになってしばらくは、俺に帰宅した安堵の時間をくれよ。
 心の澱が減れば夫婦の仲になれる。そのまま夫婦の契りで『合体』ってのもありだし、男だって落ち着けば妻を娘の様にだって見る事ができる。
 
 だけどよ~『そんな事の出来る女が居るか~?』(男の気持ち)
 だけどね~『父であり、夫であり、息子である様な男が居るか~?』(女の気持ち)
 個人的意見だけど、今の人は男も女も演技が下手だね。我が子にさへ父親や母親でなく男や女を直接ぶつけるのを街中で見かける事がある。何でだろうね?。
 うちは女房に助けられた。女房は4人家族の実情を『長男・次男・三男』とか『珍獣・怪獣・猛獣』と言った。ところが息子も4人家族だけど『女が3人なのでパパがショボン』と孫が言う。これじゃあ、家庭で男の居場所が無いよな~。

酷暑との戦い。

 実は、うちにはクラーがありません。いや、無いわけではなくて、1Kwの窓用クーラーはあるのですが、この暑さにはクーラーが負けて室温は3度ほどしか下がりません。
 昨日も今日も14時の室温が36度でした。34度を超すと頬が火照りますので体の危機を感じます。

 酷暑対策として、この10年ほどベランダに遮光率50%の遮光ネットを2重にして張っています。これで日光は完全に遮断されます。いえ、悪い冗談です。半分になったものの、さらに半分ですから直射の25%にはなっているはずですが、それでも暑いです。
 エアコンの設置を建築業者のヘーベルハウスに相談しても、私の希望は聞いてもらえません。いわく『我が社の仕様に無い』そうです。建てる前ならば別なのでしょうが、建ててしまえばそんなものです。

 そんなこんなで考えたのが、着衣を湿らせるという気化熱を利用する方法です。昨日はTシャツを水に浸け、洗濯機で脱水して着ました。水も垂れずに扇風機の風で体もほどよく冷えますが、襟が無いので首は冷えませんでした。手拭いを湿して首に巻きましたが厚みがあるので表面の冷えが首に伝わりません。
 昨日に学び、今日は襟付きのTシャツにしました。首も冷えて昨日より快適です。(内心、俺って頭いい~イと自画自賛です)そんな、Vagabondに憧れるBakahind(馬鹿貧奴)です。

入れた物は楽に出す工夫が必要。

 歳をとると筋肉が弱ります。歳をとっても腕を折り曲げてグッと力を入れれば、ムキッと筋肉は盛り上がります。そんな腕でも、力を抜いて水平に伸ばすと筋肉が骨の下に垂れ下がります。歳をとれば誰しもそんな振袖状態になってしまいます。
 外から見える筋肉は、鏡の前に立てば誰しも心の中で(ア~、若い頃とは違うな)と気がつきますが、内側にある内臓の筋肉の衰えは見えないので、衰えに気づくのが遅くなります。
 
 人間は食べなければ餓死してしまいますし、食欲というものはボケても衰えない事が多いものです。勝手に冷蔵庫を開けて食い散らかしたりする様にもなり、仕方がないので鍵を付けたらペットフードを食べてしまったという話もありました。まあ、しかたのない事ですが目くらめっぽうに食べ散らかした後片付けは大変です。
 とはいえ、食べる方の散らかりは楽な方です。食べた物は必ず出ます。その後片付けの方が、もっと大変なのです。洗濯ですむならましな方で、時に何万円もした服や布団やベッドなどの家具まで捨てなければならない事もあるのです。
 
 まあ、それでもまだましでしょう。知人に独身を謳歌し女性を口説きまわった独身貴族が前立腺肥大になりました。そしてある夜、小便が出なくなってとても苦しくて夜中に救急車を呼んだのですが、いつもの病院の当直医師は尿道挿管ができませんでした。そして担当医が出勤するまで大変苦しい思いをしたそうです。
 昨年、私も似た経験をしました。大便が硬くなり肛門から自然には出なくなってしまったのです。便意を感じてトイレに入ったのですが、便が直腸にまで下りてきてしまっていたので、それが尿道を圧迫して小便まで出なくなってしまったのです。(はい。とても苦しかったです・泣)
 狭いトイレで仰向けに横たわり、壁に尻を当てて高く持ち上げ、いろんな事をして直腸の大便を大腸に戻しました。そして、小便を出しました。
 次は大便を出す番です。小便の後にまたトイレで尻を高く持ち上げて、12月になると市販の生クリームに三角形の絞り出し袋がサービルとして付いてきますので、それに人工愛液と等量くらいの水を入れて肛門から直腸に注入しました。
 尻を上げた姿勢を1時間以上は続けたと思います。それでやっと出たのですが、それでも肛門に両手の指を当てがって便が肛門に直行する様に進路変更しました。(両手とも糞まみれでボロ布でぬぐった後にシャワーで手と尻を洗いました)
 
 私は、内臓の筋肉の衰えと便意感覚の衰えと思いましたので、食べ物による便の軟化策を考えました。すぐに思いついたのが牛乳です。私は500mlくらいの牛乳で便が軟化しますので48時間便意が無ければこれを実行しています。
 女房を含め、私の周囲の女性は48時間ぐらい出なくても平気みたいです。それに子供を産むために骨盤も広く、昔から『鉈でぶった切る様な糞をする』と言われますから日常では困らないのかもしれません。
 とはいえ、女房が階段落ちして入院した時の隣の高齢婦人はフンヅマリになり、看護師にかき出してもらったそうです。それも男性看護師に!!。とても恥ずかしがっていたそうです。もし、女房がそうなったら私がかき出しますし、そんな気配がある時は女房の下剤的食品のプルーンを食べさせるという約束もしてあります。(下剤は習慣性もつきますし、そのためという目的がハッキリしていますので自宅ではやりたくありません)

私も女房も、ややボケです。

 今日は我が家の現状を書きます。私たちは、私が後期高齢者で妻が前期高齢者です。
 数えてみると、5年5か月前に女房が階段から落ちて脊椎を圧迫骨折しました。私はその時に、様子の判っている自宅での家庭内事故はボケの初期症状と考えました。階段から落ちるのだけでなく、家具に足の指をぶつけるのだって頻繁であればボケを疑うか家具の配置を変えるべきです。そんなこんなで私はボケ対策を考えました。
 人間は生まれた時には何もできませんが、すでに学習が始まっています。そしていろいろ覚えながら成長します。ところが、老人はだんだん衰えて記憶をなくしていき、生活もやりずらくなります。それがボケです。
 成長期にはものを覚えさせるのに叱責しても馬鹿にしても、できなかった事ができる様になった時には、それらの屈辱を晴らす事ができて誇らしい気分になれます。
 ところが老いとは哀しいもので、できない事はどんどんできなくなります。ですから、叱責や馬鹿にするのは心をを閉ざして、よりボケがすすんでしまいます。
 
 女房が階段落ちした時に私はそう考えました。だから私は女房に「やればできる」とか「考えて行動すれば失敗はない」などと言うのは止めようと考えました。そして、どうすればボケの進行を遅らせられるか考えました。私の結論は、女房の心がふさぎ込まない様にしようという考えでした。
 それでは何が一番心が浮き立つだろうか?それは恋愛だ!!という結論を出しました。まず始めたのが添い寝でした。とはいえ、私たち夫婦は新婚時代から布団は別々です。私は頻繁に寝返りをうつし、女房は大の字に寝るし、ダブルベットでも狭いのです。
 そこで、早朝に二人が目覚めてしまった時には私が女房の布団に入って抱き合う事にしました。抱き合えば私の手は自然と女房の陰阜にいき、陰部を愛撫し始めます。時に、私の用意ができればSEXもします。
 また、日常では手をつないで買い物に出かける様にしています。コロナ禍にあって、たかが買い物に夫婦で出かけるのはしのびないのですが、脊椎骨折しましたので道でつまづいたり段差でコケない様にエスコートするためです。世間の皆様お許しください。

昨年12月に交換したバイク。


f:id:TateyamaKurobe:20210209103146j:plain


 筋力・体力の衰えからホンダCTX-700NをスズキGZ-150と交換しました。小排気量のアメリカンスタイル(排気量はハーレーの10分の1・笑)です。そして、自分のバイク好きがどこから来ているのかやっと判りました。
 根本はハーレーです。子供心に感じた駐留軍の数百米も先から聞こえる重低音の排気音と、加速時に徐々に上がる鼓動の様な排気音の気持ち良さ。
(私は楽器を越えると思っています)
 
 あと一つは50ccバイクにあります。スーパーカブに代表される原付1種が自転車に代わる交通手段として、中学生時代に爆発的流行となりました。私の友達の家で仕事用に山口オートペットを買い、時々その友達と数人が群れて交互交互無免許で乗りました。ですから、山口オートペットに形のよく似たカワサキエストレア(鞍型シートタイプ)も大好きです。
 
 そのほかヤマハSR-400にも乗りたいと思いました。今は発売中止となってしまい残念と思っていましたが、先日SR-400似のバイクを見かけました。

  SP-125(YBー125が正しいのかな?)チョットSR-400に似ていませんか。これが250ccだったらCTX-700Nを下取りしてもらって買ってしまったかも。
(私。実は、一瞬SPをSRと読み間違えました・笑)

  

 

f:id:TateyamaKurobe:20210209103236j:plain

f:id:TateyamaKurobe:20210209103846j:plain

 

私はバブルで得したの?損したの?

 私は転勤族なので結婚は無理と思っていたが、伯父に勧められた見合いで20代後半に結婚して東京都八王子市のアパートに住み、30代前半で茨城県潮来町の借家に引越し、30代なかばには埼玉県大宮市のアパートに引っ越した。
 その頃から私の様なサラリーマンにもバブルが身近となり、不動産業者がアパートにもやってきました。私と女房の兄弟姉妹はみんな自宅を持っていて、アパート住まいは私たちだけだったので、なんとなく自宅を持たなければならないという雰囲気でした。
 そんな雰囲気だったので現地見学を申し込んだものの、連れて行かれた所は東北本線古河駅から東へ車で30分もかかる畑の中で、小型バスから降りると養豚の匂いが漂う丘でした。
 そんな見学会で失望したものの、不動産業者は『もう直ぐ売り切れますよ、もう○○区画しか残っていません』などと何度も電話をかけてきて電話恐怖症になりそうでしたが、それから間もなく転勤になり群馬県前橋市のアパートに引っ越しして電話恐怖症からは解放されました。
 
 前橋市郊外は住みやすい所だったので近所の土地を物色したものの、バブル最盛期であったため私の稼ぎでは買う事ができず、数年後にはお袋が癌と診断され、私は初めて実家近くから通える所へ転勤希望を出し、練馬区のアパートに引っ越しました。そしてお袋はモルヒネで寝かされ続け目覚める事なく死んだ。私が聞いたお袋の最後の言葉は死ぬずいぶん前の『先生・・・頭がボーとしています』で、我々兄弟への言葉は無かった。
 お袋の死をキッカケに40歳なかばから私の別荘探しが始まり、転勤先も地方が多かったので老後は別荘に永住する暮らしを考えた。
 
 一番最初に探したのは蓼科の別荘地でした。南八ヶ岳北八ヶ岳は魅力的な山域だし、諏訪湖は氷結するしスキー場も沢山あるし。自動車で麦草峠も越えられる魅力満載の地でした。
 ただ、女房は『寒いよ~!!冬場はどうするの?』と気乗りしなかったので、私は真冬に歩くスキーで蓼科側から八千穂側に下る計画を立てました。積雪期のバスの終点(無雪期は別荘地の最奥まで行くが積雪期は別荘地の入り口が終点だった・知らなかった)から歩き始めて夕方までに麦草峠に着く事ができず、あまりの寒さに死の恐怖を感じながら下山しました。また永住となると冬場の暖房費も高額になると判り蓼科永住は砕け散りました。
 蓼科での別荘探しで『寒冷地の別荘には自宅から2時間くらいで着ける事』という鉄則を知りました。寒冷地の戸建別荘では到着して暖房を焚いても温まるまで時間がかかるし、自宅から別荘に着くのに時間がかかると、サラリーマンの間はほとんど行く事ができなくて点検修理もままならない不良物件になるという事です。
 
 女房とリタイア後の生活プランを練り直している最中に、兄貴が遺産相続の相続放棄に支払う、通称『ハンコ代(金)』を払えなから、60坪しかない土地だが半分づつにしようと提案してきて東京に家を持てる様になりました。
 そうなるとプランはかなり柔軟性が出てきます。そして出た結論は温泉が楽しめてスキーも出来るという草津温泉のリゾートマンションになりました。販売業者にとっては不運のバブル崩壊でしたが、私たちからすれば幸運で、数年間売れ残った部屋が1千万円弱で購入できました。
 しかし、私にも不幸が待ち構えていました。11月に購入したら、12月にはバブル崩壊後の人員整理で肩を叩かれ、55歳で退職となり再就職活動をしましたが無線技術士の求人はありませんでした。
 人間は生活費以下の収入しか無くても、退職以前の収入の生活を急に変えられません。退職時に年間3百万円で暮らすという目標を立てましたが、そうなるまでに2年かかりました。
 それと手放してもかなりの損になるマンションは、管理費等が月4万円弱なので所有する事にしましたから、実際の生活費は年間に約250万円という次第です。(税金・光熱水費がかかりますので衣食などの直接支出は月10万円までです)
 
 リゾートマンションを所有して約20年ですが、今は手放さなくて良かったと思っています。兄弟が近くに住めば何かと問題が起こります。まして隣同士だと兄弟は他人の始まりではなく、不倶戴天の敵でしかありません。(ですから兄貴を草津に連れて行った事はありません)
 歳をとり、兄弟姉妹の家が甥や姪中心の生活になってしまうと、実家だけでなく親戚にも顔を出すのがままならなくなります。今は草津が実家の様なもので心と体を休ませる事ができます。(音楽を聴きながら思い出に涙を流す姿など誰にも見せられません)
 それから別荘探しですが、歳を重ねいずれは車を手放す事になりますから代替交通手段が確保できるという条件も重要です。(草津温泉は新宿からJRバスが毎日運行しています)