昨年12月に交換したバイク。


f:id:TateyamaKurobe:20210209103146j:plain


 筋力・体力の衰えからホンダCTX-700NをスズキGZ-150と交換しました。小排気量のアメリカンスタイル(排気量はハーレーの10分の1・笑)です。そして、自分のバイク好きがどこから来ているのかやっと判りました。
 根本はハーレーです。子供心に感じた駐留軍の数百米も先から聞こえる重低音の排気音と、加速時に徐々に上がる鼓動の様な排気音の気持ち良さ。
(私は楽器を越えると思っています)
 
 あと一つは50ccバイクにあります。スーパーカブに代表される原付1種が自転車に代わる交通手段として、中学生時代に爆発的流行となりました。私の友達の家で仕事用に山口オートペットを買い、時々その友達と数人が群れて交互交互無免許で乗りました。ですから、山口オートペットに形のよく似たカワサキエストレア(鞍型シートタイプ)も大好きです。
 
 そのほかヤマハSR-400にも乗りたいと思いました。今は発売中止となってしまい残念と思っていましたが、先日SR-400似のバイクを見かけました。

  SP-125(YBー125が正しいのかな?)チョットSR-400に似ていませんか。これが250ccだったらCTX-700Nを下取りしてもらって買ってしまったかも。
(私。実は、一瞬SPをSRと読み間違えました・笑)

  

 

f:id:TateyamaKurobe:20210209103236j:plain

f:id:TateyamaKurobe:20210209103846j:plain

 

私はバブルで得したの?損したの?

 私は転勤族なので結婚は無理と思っていたが、伯父に勧められた見合いで20代後半に結婚して東京都八王子市のアパートに住み、30代前半で茨城県潮来町の借家に引越し、30代なかばには埼玉県大宮市のアパートに引っ越した。
 その頃から私の様なサラリーマンにもバブルが身近となり、不動産業者がアパートにもやってきました。私と女房の兄弟姉妹はみんな自宅を持っていて、アパート住まいは私たちだけだったので、なんとなく自宅を持たなければならないという雰囲気でした。
 そんな雰囲気だったので現地見学を申し込んだものの、連れて行かれた所は東北本線古河駅から東へ車で30分もかかる畑の中で、小型バスから降りると養豚の匂いが漂う丘でした。
 そんな見学会で失望したものの、不動産業者は『もう直ぐ売り切れますよ、もう○○区画しか残っていません』などと何度も電話をかけてきて電話恐怖症になりそうでしたが、それから間もなく転勤になり群馬県前橋市のアパートに引っ越しして電話恐怖症からは解放されました。
 
 前橋市郊外は住みやすい所だったので近所の土地を物色したものの、バブル最盛期であったため私の稼ぎでは買う事ができず、数年後にはお袋が癌と診断され、私は初めて実家近くから通える所へ転勤希望を出し、練馬区のアパートに引っ越しました。そしてお袋はモルヒネで寝かされ続け目覚める事なく死んだ。私が聞いたお袋の最後の言葉は死ぬずいぶん前の『先生・・・頭がボーとしています』で、我々兄弟への言葉は無かった。
 お袋の死をキッカケに40歳なかばから私の別荘探しが始まり、転勤先も地方が多かったので老後は別荘に永住する暮らしを考えた。
 
 一番最初に探したのは蓼科の別荘地でした。南八ヶ岳北八ヶ岳は魅力的な山域だし、諏訪湖は氷結するしスキー場も沢山あるし。自動車で麦草峠も越えられる魅力満載の地でした。
 ただ、女房は『寒いよ~!!冬場はどうするの?』と気乗りしなかったので、私は真冬に歩くスキーで蓼科側から八千穂側に下る計画を立てました。積雪期のバスの終点(無雪期は別荘地の最奥まで行くが積雪期は別荘地の入り口が終点だった・知らなかった)から歩き始めて夕方までに麦草峠に着く事ができず、あまりの寒さに死の恐怖を感じながら下山しました。また永住となると冬場の暖房費も高額になると判り蓼科永住は砕け散りました。
 蓼科での別荘探しで『寒冷地の別荘には自宅から2時間くらいで着ける事』という鉄則を知りました。寒冷地の戸建別荘では到着して暖房を焚いても温まるまで時間がかかるし、自宅から別荘に着くのに時間がかかると、サラリーマンの間はほとんど行く事ができなくて点検修理もままならない不良物件になるという事です。
 
 女房とリタイア後の生活プランを練り直している最中に、兄貴が遺産相続の相続放棄に支払う、通称『ハンコ代(金)』を払えなから、60坪しかない土地だが半分づつにしようと提案してきて東京に家を持てる様になりました。
 そうなるとプランはかなり柔軟性が出てきます。そして出た結論は温泉が楽しめてスキーも出来るという草津温泉のリゾートマンションになりました。販売業者にとっては不運のバブル崩壊でしたが、私たちからすれば幸運で、数年間売れ残った部屋が1千万円弱で購入できました。
 しかし、私にも不幸が待ち構えていました。11月に購入したら、12月にはバブル崩壊後の人員整理で肩を叩かれ、55歳で退職となり再就職活動をしましたが無線技術士の求人はありませんでした。
 人間は生活費以下の収入しか無くても、退職以前の収入の生活を急に変えられません。退職時に年間3百万円で暮らすという目標を立てましたが、そうなるまでに2年かかりました。
 それと手放してもかなりの損になるマンションは、管理費等が月4万円弱なので所有する事にしましたから、実際の生活費は年間に約250万円という次第です。(税金・光熱水費がかかりますので衣食などの直接支出は月10万円までです)
 
 リゾートマンションを所有して約20年ですが、今は手放さなくて良かったと思っています。兄弟が近くに住めば何かと問題が起こります。まして隣同士だと兄弟は他人の始まりではなく、不倶戴天の敵でしかありません。(ですから兄貴を草津に連れて行った事はありません)
 歳をとり、兄弟姉妹の家が甥や姪中心の生活になってしまうと、実家だけでなく親戚にも顔を出すのがままならなくなります。今は草津が実家の様なもので心と体を休ませる事ができます。(音楽を聴きながら思い出に涙を流す姿など誰にも見せられません)
 それから別荘探しですが、歳を重ねいずれは車を手放す事になりますから代替交通手段が確保できるという条件も重要です。(草津温泉は新宿からJRバスが毎日運行しています)

コロナによる外出自粛だとブログが更新できない。

 うちでは結婚以来約50年間一度も夫婦喧嘩がありません。第一の理由は相手に対して不快感情の表現方法が変わっているからです。相手の行為が不愉快な時には『ガウガウ』とか『ワンワン』と不快感情を言葉でなく音で表現します。
 そうすれば『売り言葉に買い言葉』にならず、不愉快な理由を話し合う事が出来ます。なぜか新婚時代から自然とそうしていて、今ではその表現を夫婦のどちらから始めたかも覚えていません。

 そんなこんなで、私たちは仲の良い夫婦なのだと2人共思っています。このコロナ禍での不要不急な外出を控える中でも、手を握り合ったりしてすごしています。
 そんなわけですから、私がパソコンでブログを書いたりネット徘徊すると、かまってほしくてキーボードに乗っかる猫の様にチョッカイを出してきます。そんな時にはパソコン作業は中断です。

 そのほかにも女房を邪険にしないのには理由があります。それは2015年12月15日の夜中、トイレに立った女房が階段落ちしたからです。私は家庭内事故はボケの始まりと考えています。そして、ボケの進行を抑えるには優しく愛する事だと信じています。
 些細な事ですが、家具に足の小指をぶつけたりという様な失敗だって、自分の身体感覚や注意力が低下しているという事です。そして本人も恥ずかしい思いをしていますから、それを笑ったり、叱咤激励しても良い結果が出るとは思いません。優しく愛でつつむのが一番だと私は信じています。

 女房の階段落ちからボケが始まったと考え、脳の活性化には何が良いかを考えましたが、高卒の私には何も思いつきません。唯一考えられたのが恋愛感情です。まあ、恋愛は心がウキウキワクワクしますし、何より幸せ感で一杯になります。だから、たぶん脳の活性化になるのではなかろうかと思ったのです。
 そして毎日、女房とハグしたりイチャついたりしています。寝床は別ですが、老化で朝の目覚めが早くなり、3時or4時に目覚めますから、2人が目覚めたら私が女房の床に行き抱き合います。
 今、75歳と70歳ですが時にはSEXもします。そのあと女房が7時頃まで寝てくれるととても嬉しいんだけど、それがキッカケで起きてお茶と羊羹になってしまう事もあります。歳だからそれも良しとしています。

血液とお金は流れが滞ると病気になる。

 私がお公家さんの若い課長から聞いた言葉の『明治維新はなぜ起きたか』と『金持ちには金を使う義務がある』には密接な関係がありました。
 
 『明治維新はなぜ起きたか』の教科書とは違う視点は、大商人が蓄財をしたからだという点にありました。
 昔から商人は商売のためにお金を用意しなければなりません。ゆえに習慣的に蓄財に気をつかい、悪くすると必要以上に貯めてしまいます。
 昔の蓄財は貨幣の備蓄です。当時の高額貨幣の基本は金銀でしたので、蓄財が進めば市中に流通する金銀が減少します。すなわち、大商人の蓄財が進むとお金の流通が低下して慢性的な不景気になるという事です。
 バブル崩壊を経験した世代には、不景気の沈滞した気分と陰鬱な気分を何とかしてほしくて社会変革を望む気分の高まるのが理解できるはずです。若い頃には何度も読破に挫折した小説『夜明け前』にもそんな現状打開への気分と夢の高まりが書かれています。
 
 金銀が貨幣の基本でありながら、大商人が貨幣を備蓄して金銀の流通が滞り、江戸幕府すら貨幣改鋳のたびに金銀の量を減らすというインフレ現象も生じ、それらの社会的不満が世間に蔓延したのが明治維新の下地になったと課長は話しました。
 この歳になってやっとそれが判りましたが、いま思えば旧家には歴史を正確に伝える家族文化があったという事です。
 振り返ってみると私は経験でしか学べない男でした。先祖の事でも、祖父すら住まいと職業程度しか判らないトホホ状態ですから、下層階級の生活も仕方のない事とあきらめています。
 
 『金持ちには金を使う義務がある』というのは明治維新だけではありません。歴史的に権力の集中と貧富の格差は社会的不安をもたらしてきました。ゆえに、幾多の権力者が神社やお寺に寄進という形で建物などを修復したりして経済を回してきたのです。
 言ってみれば、神社仏閣への寄進というのは経済効果の伴うセレモニーです。戦いにもある種の経済効果はありますが、戦いは人心を荒らしてしまいます。ところが社寺仏閣への寄進は人心を活性化する効果がありましたので、良いお金の使い方だったと私は思います。
 振り返って現代のお金持ちは良い方向でお金を使っているでしょうか。私には、よりお金を稼ぐためだけにお金を使っている気がします。(下層階級のヒガミです!!)

ほぼ1年ブログを更新せずになさけない思いです。

  昨年春からコロナ禍で引き篭もり生活を送る様になり、我が身75年の越し方を考えてみましたが、赤ん坊から成人するまでの約20年間は現在に通ずる思い出と知恵はほぼありませんでした。
  いまここに書けるのは25歳くらいの時に聞いた社長候補の国立大学院卒のお公家さんの血筋の課長との話です。私より数歳年上の課長でした。入社して即課長で、私の様な下級無線屋には理論家だが無線機を直すスキルの無い大嫌いなタイプでした。ですから私はこの課長の話を真面目には聞きませんでしたし、聞くときの態度も悪かったはずです。
  しかし、しかしです。それから50年後の昨年。私はやっとそのお公家さん出身の課長の話が理解でき、すべてが腑に落ちました。一番最初に腑に落ちたのが『Goto政策』です。

 

  50年前、お公家さんの若い課長から『不景気の時には税金から給料の出る役人が金を使え(役人は不景気でも手取り額の低下がないから率先して使え)』と『不景気の時の金の使い方は川上産業で使え(使った金が広くいきわたる使い方をしろ)』それから『金持ちには金を使う義務がある』という話を聞かされました。

 

  『Goto政策』は『不景気の時の金の使い方は川上産業で使え』にあたります。税金で補助するわけですから『不景気の時には税金から給料の出る役人が金を使え』に近い政策でもあります。
  旅行に行くわけですから旅行関係業、交通関係業、宿泊関係業に金が流れます。特に、宿泊業というものはその地域における総合商社の様なもので、地域の魚、肉、野菜、酒などの食品業に金が流れるだけでなく、クリーニングなどの清掃関係や遊戯関係にも金が流れます。宿泊業は地域における川上産業なので、地域の商店に広くお金が流れるのです。

 

  現代の政治家にもそんな常識が語り継がれていて『Goto政策』が実施されたのでしょう。しかし、その常識は50年前の常識であって、感染症大流行のコロナ禍にあっては感染を広げただけの失敗政策だったと思います。ようするに、感染症による不景気は戦後に経験した事のない状況だったという事です。
  『金持ちには金を使う義務がある』という言葉にあたる事例を書いていませんが、それは『明治維新はなぜ起きたか』に関連がありますので次のブログで書きます。

『老人学』のすすめ。(リアル編01)

 3月14日の『老人学』のすすめ。(番外編4)で、私自身のボケに気がついたと書きました。そして、私は自分のボケ対策を長い時間軸で考える事にしました。
 第一に考えたのは『今までの生活習慣の変更』です。
 
 ボケ老人を世話する時に一番大変なのが食事と排泄です。また、外に出てしまう徘徊もご近所や警察などに迷惑をかけるので大変ですが、食事は日に3回かそれ以上になりますし、排泄は小便が日に10回くらいで、大便は日に1回くらいですが、その介添や始末は本当に大変です。
 すなわち、食事と排泄を良き習慣に変えれば介護者の苦労は若干であっても軽減できると考えました。そして、良き習慣への見直しは、自分自身がボケを認識したら始めるべきです。ボケたら生活改善なんて絶対にできませんから。
 
 小便は吸水性の良いオムツがありますので何とかなるかもしれませんが、大便は不定期であり、硬軟と量の変化もありますので現在の良質なオムツでも大変でしょう。
 また、歳をとると消化機能が落ちて排便がスムーズにいかなくなります。現に私も若いころに比べれば体内通過時間がかかる様になって、便が壁土の様になって肛門を洗う時があります。それと、大便には消化酵素が含まれますので、排便後の肛門の手入れをおろそかにすると皮膚が荒れて病人が苦しむ事になります。
 まだ出るうちはよいのですが、時に糞詰まりとなって何日も出なくなる事もあります。そうなると、肛門を開く道具とスプーンで掘り出さなくてはなりません。
 
 いろいろ汚らしい話を書きましたが、私はこの状態をどの様に改善するか、約1ヶ月間自分自身で実験してみました。
 睡眠中の小便の量を減らすには、利尿作用のあるコーヒー・紅茶・緑茶などは午前中に飲み、午後は白湯(さゆ)を飲むのが一番です。その他の方法としては、夜の食事は保水性の良いパスタにしたり、塩分不使用のナッツなどを食べて水分が消化器からゆっくりと体内に取り込まれる様にする事です。
 また、塩分濃度の高い味噌汁は朝食にとり、夕食ではスープなど塩分濃度の低い物にして食後の水分をとりすぎない様にした方がよいと思います。
 
 大便については年齢とともに衰える消化管の通過をよくする事です。
 私は1日に1回はパンを食べる事とし、パンをオリーブオイルに浸して食べる事を試してみました。これは大変良い結果をもたらしました。食物の体内滞留時間が短くなるので壁土の様な便は治り、トイレットペーパーの汚れも非常に少なくなりました。
 
 私が何年後に介護を受ける様になるかは判りませんが、この様な食習慣を身に着けて介護してくれる人の苦労を、ほんの少しでも減らしたいと考えています。

『老人学』のすすめ。(番外編4)

 老親介護で一番大切な意識は『体力・脳力は低下してもプライドは低下しない』という事実です。特に男親には『私は父親』という絶対的プライドが残っています。
 我が家の親父の介護のトラブルも、父親のプライドによる非妥協的姿勢と、介護する家族の実務的困難さに起因する事が多々ありました。
 
 ある時、親父が「友人に貸した金を返してもらいに行く」と家を出ようとしました。貸したお金はすでに返されているし、貸した友人もすでに亡くなり、親父はその方の葬儀にも出ていました。
 いくら説得しても聞かないので、とにかく外出させてはまずいと、長兄が玄関の硝子戸を外側から押さえて開かない様にして外出をあきらめさせました。庭から外に出る事もできるのですが、親父にはそれが考えつきませんでした。
 
 そんな事が度々ありましたが、妄想の時期を過ぎると、欲求は食欲に移り食べてから1~2時間すると食べたがり、はじめのうちは『○○時に食べましたよ』と言えば納得したのが、そのうち食べ物を出さないと大声を出す様になりました。
 初めのうちは、冷めたご飯でも茶碗に盛り漬物などを上に乗ただけでも何とかなりましたが、そのうち気に入らなければ茶碗を投げるようになりました。ずっと時が経ってから同じ様に介護経験のある方から聞いた話ですが、お母様を介護したその方は小さなおにぎりを作っておいたそうです。お母様は食べたことを忘れるだけですから、お腹は空いていないので小さなおにぎり1個でも満足したそうです。
 
 体がもっと衰えると食欲は収まりましたが、筋肉も衰え歩くのがままならなくなるだけでなく、箸が上手く使えなくなりました。スプーンを持たせるのですが、親父のプライドでスプーンを使う自分を受け入れなくて箸を使って食卓から着物まで汚しました。
 その後は寝たり起きたりになり、目を覚ました時に食事を食べさせる様になり、介護でスプーンから食べさせてもらうのは拒否しませんでしたが、食は徐々に細くなり痩せてゆき、1年半ほどで老衰で亡くなりました。
 
 
 
 親父の介護ではもっともっとありましたが、今回は通り一遍な事しか書けませんでした。実は、私自身にボケの症状が出はじめたのです。
 発見のきっかけは、確定申告でした。会場で清書して申告し、受理してもらいました。そして会場を出たわけなのですが、机の上の下書きや電卓を置き忘れたのです。すぐに戻って事なきをえましたが、これは二つの事をやる能力が衰えた事にほかなりません。
 私はこれを自分のボケの第一歩ととらえ、これからは慣れた仕事でも習慣的に行うのでなく、意識の根底にダブルタスク実施中と常に考えながら作業するようにします。
(恥をかかないためにです、そしてプライドを傷つけないためにです)
 老親介護で一番大切な意識は『体力・脳力は低下してもプライドは低下しない』という事実です。特に男親には『私は父親』という絶対的プライドが残っています。
 我が家の親父の介護のトラブルも、父親のプライドによる非妥協的姿勢と、介護する家族の実務的困難さに起因する事が多々ありました。
 
 ある時、親父が「友人に貸した金を返してもらいに行く」と家を出ようとしました。貸したお金はすでに返されているし、貸した友人もすでに亡くなり、親父はその方の葬儀にも出ていました。
 いくら説得しても聞かないので、とにかく外出させてはまずいと、長兄が玄関の硝子戸を外側から押さえて開かない様にして外出をあきらめさせました。庭から外に出る事もできるのですが、親父にはそれが考えつきませんでした。
 
 そんな事が度々ありましたが、妄想の時期を過ぎると、欲求は食欲に移り食べてから1~2時間すると食べたがり、はじめのうちは『○○時に食べましたよ』と言えば納得したのが、そのうち食べ物を出さないと大声を出す様になりました。
 初めのうちは、冷めたご飯でも茶碗に盛り漬物などを上に乗ただけでも何とかなりましたが、そのうち気に入らなければ茶碗を投げるようになりました。ずっと時が経ってから同じ様に介護経験のある方から聞いた話ですが、お母様を介護したその方は小さなおにぎりを作っておいたそうです。お母様は食べたことを忘れるだけですから、お腹は空いていないので小さなおにぎり1個でも満足したそうです。
 
 体がもっと衰えると食欲は収まりましたが、筋肉も衰え歩くのがままならなくなるだけでなく、箸が上手く使えなくなりました。スプーンを持たせるのですが、親父のプライドでスプーンを使う自分を受け入れなくて箸を使って食卓から着物まで汚しました。
 その後は寝たり起きたりになり、目を覚ました時に食事を食べさせる様になり、介護でスプーンから食べさせてもらうのは拒否しませんでしたが、食は徐々に細くなり痩せてゆき、1年半ほどで老衰で亡くなりました。
 
 
 
 親父の介護ではもっともっとありましたが、今回は通り一遍な事しか書けませんでした。実は、私自身にボケの症状が出はじめたのです。
 発見のきっかけは、確定申告でした。会場で清書して申告し、受理してもらいました。そして会場を出たわけなのですが、机の上の下書きや電卓を置き忘れたのです。すぐに戻って事なきをえましたが、これは二つの事をやる能力が衰えた事にほかなりません。
 私はこれを自分のボケの第一歩ととらえ、これからは慣れた仕事でも習慣的に行うのでなく、意識の根底にダブルタスク実施中と常に考えながら作業するようにします。
(恥をかかないためにです、そしてプライドを傷つけないためにです)