少し昔の『子供事情』

 私は、現在の少子高齢化は戦後に始まったと考えています。1945年にイタリア、ドイツ、日本の枢軸国の敗戦で第2次世界大戦が終結し、兵隊にとられていた若者が復員して翌年の1946年から出生率が上昇したのを、第1次ベビーブームと呼びます。
 また、日本では朝鮮戦争をきっかけに工業立国による復興が明確となり、昭和30年代には産業労働力として地方から中卒を中心とした若年労働力『金の玉子』が都市に流入しました。そして、その人達が親となった核家族では、子供の人数が2~3人と少子化はさらに進みました。
 
 私には、私より少し年下の長女を頭に四人姉妹の親戚が新潟にいます。一女が結婚して実家に帰るたびに炊事道具などを『これ便利~』と言いながら母親から貰って帰るのを、二女以下の姉妹が嫌な顔をして見ていました。
 ところが、二女が結婚したら一女と同じ事をし、三女以下の娘が嫌な顔をしました。そして、三女も結婚したら一女や二女と同じ事をしたのです。
 
 三女の結婚直後に父親が亡くなり、四女は結婚の機会を逃してしまいまた。母親と2人暮らしでは、男側から見れば『婿入りするか、今なら親がついてくる』と宣言された様なもので、四女は結婚できませんでした。
 そして、母を看取った後に四女がもらしたのは『お姉ちゃん達は実家から色々持って行ったけど、父も母も置いて行った』でした。
 
 父親は公務員だったので、死んだ後にも母親くらいは生きて行ける遺族年金が残されました。でも、母親が死ぬと親の面倒を看てきた四女が貰える年金は、国民年金だけです。
 また、父親が亡くなった時には一女も二女も三女も、遺産を現金で貰いました。母親が亡くなった時には、中に入った親戚の言葉で実家の土地を切り取りこそしなかったけれども、やはり些少のお金を持っていきました。
 
 最後の最後に四女に残されたのは小さな家と分割もできない狭い土地だけです。それゆえ、国民年金だけでは不足するお金を何とかしようと思っても、生活保護を受ける事ができません。
 3人の姉達に相談しても、姉達もすでに家計は子供の代になっていて、妹に何かしてやれる余裕はありません。
 
 昔は、老後の世話をするのは嫁の役目でした。ところが、少子化はその後も進み、核家族に子供が1人か2人しかいないとなると、親には老後の不安が芽生えます。そして、子供の幸せよりも自分の不安を強く感じて、親達の綱引きが始まってしまうのです。
 親に財産があればまだしも、子供の稼ぎを当てにしなければならないとなると、親は更に子供を縛ろうとします。今後も進む少子高齢化社会にあって、国家が年寄りの預貯金を吐き出させたかったら、老後の不安を取り除く事でしょう。さもなければ、映画『ソイレントグリーン』みたいな自殺システムでも造る事でしょうか。