愛の形(nurse's side)

 父は軍医でしたが、満州で旅行中に泥棒に襲われて死んだそうです。そのため戦後の食糧難には大変苦労しました。母の着物や父の洋服が食べ物に替わるのを見て、私は医者の夢をあきらめて、研修中でも収入の得られる看護婦の道を選びました。正看護婦の資格を得ようと頑張っている時に、父と親しかった先生から住み込みの看護婦にならないかと誘いを受け、雇い主の事情を聞いて驚きました。そこにあったのはおぞましい男のエゴと、その犠牲となった新妻の悲し過ぎる運命でした。

 住み込み看護婦の話を承諾したのはその話に同情しただけではなく、その条件の良さにありました。雇い主は時流に乗って羽振りが良く、食住保証の上に大病院の正看護婦の2倍を超えるお金を約束してくれました。それだけ頂ければ弟の学費も含めて母に渡す事ができると納得した上での返事でした。ただ、住み込みなのでエゴイストの雇い主に襲われはしないかと不安でした。

 お宅に上がってみると、旦那様は奥様に梅毒を移した事をひどく悔やみ、奥様に操を立てていて心配した様な事はありませんでした。ただ冷蔵庫やテレビの据付だの修理などに忙しく飛び回っていて、あまり奥様を見舞う事ができませんでした。奥様は寂しさからか我がままを言う事もありましたが、それも気持ちが通じ合うようになると自然とおさまりました。

 ビックリしたのは、奥様が『あの人の後添えになって』と言った時でです。脳梅でとうとう気がふれたかと思いましたが、しごく真面目なまなざしで真剣に話されました。奥様をこんな不幸に落としいれた男には、私が代わって復讐してやろうとまで考えてこの家に来たのに、その奥様から後添えの話をされるとは。夫婦とは何だろうと困惑してしまいました。

 ところが幾日かすると、奥様は旦那様と私を枕元に呼んで、今度は『正式な婚姻は私が死んでからにして』と条件を出した上で『後添えになって』と真顔で話されました。私も30代になっていましたし、ここで私が辞めては奥様を更に不幸にしてしまうと思いました。

 後日、奥様にそっと気持ちを尋ねると『農家では、兄が死ぬと弟と夫婦になる事があるの』更に『私は死んだも同然です。私はあなたを妹の様に思っています。だからあの人の後添えになってちょうだい』と言われました。私は奥様の布団の脇で声を出して泣いてしまいました。奥様は妻を捨て女を捨て、自分で人生を閉じておられたのです。

 そして私は ・ ・ ・ 。奥様の意向に従い旦那様に承諾の意思を示し、数日後に抱かれました。ただ、同じ屋根の下で奥様が病床に臥せっていると思うと、いつも申し訳ない気持ちで一杯でした。夜の営みも苦痛でしたが、1年ほどすると気持ちとは裏腹に声が出る様になってしまいました。翌日は奥様の顔を見るのがとても辛く申し訳ないと思いましたし、奥様もアレのあった翌日には我がままを言う様な気がしました。

 ある時から奥様はよく寝る様になり、目覚めも私が脈を診ようと手を取ると、穏やかな顔で目を開ける様になりました。そのため目ヤニも少なくなり、マツゲが抜けずに長く育ちました。私は初めて奥様の美しい目元を知りました。

 奥様が亡くなられた時は、その寝姿からは亡くなられているとは考えませんでした。私が脈をとれば、いつもの様に静かに目を開けると思っていました。でも、その涼しげな目元は閉じられたままなので、私は思わず脈を取り直しました。脈が無いのでハッとして覗き込むと、まるで博多人形の様に穏やかなお顔でしたので、また脈を診てしまいました。