死にぞこない気分?。これってなぁに?。

 私が幼かった頃の話ですが、従兄弟も、その戦友も、戦地で実戦を体験し、戦友が戦死するのを経験した復員兵の多くが、悲惨な戦場体験と共に『なぜあんないい奴が死んだんだ。俺が代わってやればよかった。』などと語ったものです。
 まるで、いま生きているのが悪いかの様な口ぶりなのです。私はこの様な状態を表す言葉を知りませんので、勝手に『死にぞこない気分』と書いていました。goo や infoseek でHPをやっている時に、復員兵の従兄弟の話の中でそれを使ったところ「そんな言葉は無い」と散々叩かれました。
 ところが先日。英語に『サバイバーズ・ギルト』という言葉があるのを知りました。事故や事件や災害や戦争で多くの人が死んだ時に、助かった人が感じる『自責の気持ち』の事で、私が以前書いた『死にぞこない気分』と同じでした。
 今回の東北関東大震災でも、子供を亡くしたお婆ちゃんが『もう直ぐ死ぬ私なんかが生き残るよりも、子供や孫に生きていてほしかった。』とか、子供を亡くした母親が『あの子はまだ10年も生きてないんです。代われるものなら代わりたい。』と話しています。
 大災害で幸運に恵まれ生き残ったのに、死んでいった身内に代わって『自分が死ねばよかった』と負い目を感じているのです。私は戦争で生き残った兵隊しか見ていなかったので『死にぞこない気分』と表現しましたが、より広い意味では『サバイバーズ・ギルト』の方がよいかもしれません。
 でも、人間の心とは不思議なものです。幸運に恵まれ生き残れたのに、その幸運を喜べずに、死んでいった身近な人に『罪悪感』に近い『負い目』を抱いてしまうのです。きっと、人間には思い出という親しみの記憶があるからではないでしょうか。