人間はどこまで猿か。(その1)

 動物園のサル山で見ていると、餌が近くに落ちていても順位が下位の猿は、順位が上位の猿の様子を見たり、視線を避けて食べ物を拾って素早く口に入れる。
 ところが、順位が上位の猿がそれを見つけると攻撃しないまでも威嚇する。威嚇された猿はその威嚇で生じたフラストレーションを自分より順位が下位の猿に咬みついたりしてストレスを解消する。
 私は、猿から進化した人間にもそんな猿の習性が残っている気がしてならない。
 
 ご近所に大きな家に住む老夫婦がいる。以前は中年になった長男夫婦が同居していたのだが、いつの間にかマンションに出て行った。
 そこの老婦人は『私は姑に嫌われて、嫌われて、ずいぶん苛められました』と話すが、実は、長男夫婦が家を出たのは、その老婦人に嫁さんが苛められて出て行ったのを私は知っている。
 ところが、その老婦人は自分が嫁苛めをしたとは思ってはいない。それどころか、自分はよ良い姑だと自負している。ただ、部外者の私から見ると口うるさい姑であった。
 そしてこれが、サル山の猿に重なる。自分が姑にされた事を知らず知らずに嫁にやっていたのだ。
 
 私にもこれに似た経験がある。戦後5年くらいしてから従兄が復員した。そして天皇陛下を敬う事や、天皇陛下のために死ねと教え迫られた。これも、自分がやられた恐怖を私に向かって発散していたのだ。
 嫌な事を無条件で受け入れざるを得ない状況下のストレスは大きなものだと思う。だが、理性ある人間ならば、そのストレスを猿なみの手法で発散するのはいかがなものかと考える。
 力とは下に向かうものである。ヘイトスピーチなどもそれと同じで、弱者がより弱者をいたぶる行為だと私は思う。