火遊び。(続き)

 彼と初めて関係を持ったのは、2度目に彼が東京に泊まった時だった。前回と同じ様に昼食にお勧めランチを食べ、夕食も前回と同じホテルのステーキハウスだった。違ったのは、彼が名刺を出して自己紹介を始めた事だった。そして『あなたとご一緒する食事はとても楽しい。前回の様に、明日は会合の予定があるわけではありません。でも、私はあなたを好きになってしまったので今夜は東京に泊まります。食事の後もご一緒していただけませんか。』と生真面目に告白された。私は名刺を携帯で写真に撮り、すぐに返した。多分、名刺では落としたり見られたりするかもしれないという、不純な警戒心があったのだと思う。名刺には平和運動岡山県支部長八橋兼行という名前が印刷されていた。
 私は「遅くなっても家に帰らなければなりません。」と遠回しに断ると、『判りました。遅くまで引き止めませんので、もう少し付き合ってください。』と誘われ、男女2人の甘酢ぱい雰囲気に押されて体の関係を持ってしまった。夫が亡くなってから初めてのSEXに、私は乙女の様に緊張して快感には達しなかったが、逞しい男のそばにいる安心感は忘れようとしていた自分の中の女を目覚めさせてしまった。そして、東京で度々会う様になったが、家に帰るためにベッドを出る虚さには、背徳の苦さもつきまとった。
 
 彼もそう感じていたらしく、中古のリゾートマンションを共同名義で買いましょうと提案してきた。私は新婚夫婦が新居を選ぶ様にワクワクして相談に乗り、東京と岡山の中間の浜名湖で中古リゾートマンションを探し、リホーム直後という1DKの一室に心ひかれた。
 少し狭い部屋に気恥ずかしいトキメキを感じ、オーシャンビューの景色に心が開放され、2人だけの愛の巣にピッタリ!!!と、直感のままに中古のリゾートマンションを購入した。近所では恥ずかしいので、浜松で布団のほかに、冷蔵庫と電子レンジと掃除機と電気ポットを購入したら、ティーカップのセットをおまけにつけてくれた。
 
 月に2~3回、私達はこのリゾートマンションで逢瀬を重ねた。私は子供達に「静岡の友達が病気で大変なんだ。」「彼女だけが私達の結婚の味方になってくれたの。」と、嘘をついている。子供達は『そんな事でそこまでするか~。』とか『お母さんくらいの歳でも早ければ親の介護をする人がいるからね~。』と、あまり関心を持たなかった。
 私は静岡へ行くのは友達が病気と言ったつもりだったが、無関心な子供達は私の友達を親の介護で大変な人と勝手に解釈したらしい。まあ、それはそれでバレた時の言い訳が増えるからそのままにした。それに、元々嘘なんだし。
 
 もしかすると、子供達も私のいない事が息抜きになっているかもしれないと思ったが、それならそれで私にも好都合だし、お互い大人だから干渉せずに放っておきましょうと、家の中ではそれを話題にしない事にした。
 子供達は月に2~3回の私の週末外出に干渉する事もなく、私は解放された大人の恋愛を楽しんだ。女の喜びも子育ての時より深い感じがして幸せだったし、お互い大人だから結婚だのなんだのとは考えなかった。
 
 ところが2年目の初夏に、慣れたはずのリゾートマンションでティーカップを落として割ってしまった。そして、戸棚の食器の置き方が違っていると思った。でも、彼が何かの用事で立ち寄ったかなと思ったくらいで、その時は気にもしなかった。しかし、それから度々食器の位置が私の置き方とは違う事があり、私の心の隅に雲が生じた。
 食器の位置などささいな事だが、度重なると心の隅の雲が増え、黒さを増してくる。私は些細な食器の置き方の違いに、見えぬ女の意図を感じた。わざと置き場所を変えて(私の方が愛されているわよ)と存在を誇示しているのだ。
 そしてとうとう初冬に押入れの中からイブ・サン・ローランのスカーフが出てきた。私は新聞紙に包み、紙袋に入れて自分の鞄に忍ばせた。その夜、私は急に生理になったと言って彼の愛を拒絶した。別れ際に彼がスカーフを探す様な事もなかったので、私はスカーフが影の女の仕業だと確信し、帰りに新幹線のゴミ箱に捨てた。
 
 その日から彼の電話を着信拒否にしたが、さすがに彼も友達のブティックにまではたずねて来なかった。あるいはリゾートマンションを共同名義で買ったので、私は必ず戻ると思っていたのかもしれない。
 数ヶ月の空白の時間に、私は決心した。彼は懐の深さを見せるために登記簿謄本を私に預けていたので、年が明けてから私も危ない橋を覚悟して浜松の不動産屋にリゾートマンションを480万円で売った。それでも彼からは何の連絡もなかった。
 それから3ヵ月後、売る前に作っておいた合鍵を持って浜松に行ってみた。その合鍵では扉は開かなかった。表札の無いリゾートマンションなので、彼が買い戻したのか、それとも他人の手に渡ったのか判らなかった。その後、彼からの連絡も、裁判所からの呼び出しも無い。平和活動家だけに穏便な方法を選んだと感じた。
 
 最初の彼とは結婚し、不条理が2人を引き裂いた。最後の彼には裏切られ、そして叩き潰してやった。私は愛を味わいつくしたのか、男に愛想を尽かしたのか判らないが、まもなく閉経をむかえた。
 そして今、働く2人の子供のために専業主婦に戻ったが、心の中では(春苗も晃彦も早く結婚しろ)と思っている。最後の彼との別れは不愉快だったが、それがあったから夫の事故死から立ち直れたと思っている。感謝の気持ちは無いが、そのおかげで老後の生き方は充分に考えさせてもらった。
 春苗。晃彦。今はいいけど、お前達が30過ぎたら食事なんか絶対に作ってやらないからね!!。私はお父さんの写真を持って、お一人様旅行に行こうと決めているんだから。
 
(終わり)