親父がお爺ちゃんに金の無心?。

 お爺ちゃんを見舞って日記を預かってきたけれど、今週はその日記を読む時間が取れないままに週末になってしまった。土曜日も仏・独会話だけでなく仕事もこなし、帰宅してくつろいだのは、まもなく日曜になる頃だった。
 お爺ちゃんの日記を古い順に本棚に並べようと、日付を見ながら読むとはなしに目を通していると、1冊目の1ページに、親父がマンション購入費の一部を出してくれと頼んでいる事が書かれていた。
 
11月3日
 今日、憲一から『同居しないか』と電話があった。私も富子が死んでから毎日が空しくて仕方がない。とは言え、憲一は私の心配だけをしているのではなく、マンションのローンの手助けも頼んできている。親としては助けてやりたいが、借金の手助けに生徒を守ろうとして死んだ富子の退職金と見舞金を使うのは私の気持ちが許さない。
 私とすれば定年まで教師を勤めたいが、最近は夜になると自殺の事ばかり考えて眠れない。このままでは教師の勤めも果たせなくなってしまうかもしれない。私自身、生き方を変えなければならない時なのだろうか。
 私にとっても憲一にとってもベターな結論は、来年の3月に退職して東京に行く事だろう。そして、憲一に私の退職金を渡せば富子の退職金と見舞金に手をつけずに済む。孫の健もいるから気もまぎれて、私も心の健康を取り戻せるかもしれない。
 同居で私と憲一の八方塞がりが解消される事を祈ろう。
 
 俺には、お爺ちゃんがマンションに来た時の記憶が無い。鮮明な記憶はお爺ちゃんの防音室で音楽と星の映像を見た事と、自転車の乗り方を教えてもらった事くらいだ。何よりも不思議なのは、お爺ちゃんがマンションを出て行った記憶もあやふやなのだ。多分、幼稚園か小学校に行っている間にマンションを出ていったからだと思うが、いくら考えても思い出せない。そんな事が気になって、お爺ちゃんの日記をまた開いた。
 これは俺の京大合格のお祝いの日記だから違うとか、こっちはエミの生まれた頃の日記だとかで、アパートへ越した日の日記はなかなか見つからない。見つけにくいのはお爺ちゃんが物を大切にするせいで、1年に1冊でなく最後のページになるまで詰めて書いているからだ。
 おかげで同じノートを数回ひらいてやっと見つけた。その日の日記はたった2行しかなかった。
 
10月17日
 アパートに引っ越した。
 結局、憲一のマンションに同居する事は出来なかった。
 
 そうか、お爺ちゃんがアパートに引っ越したのは俺が小学校1年生の秋だったんだ。それから数日は引越しの後片付けや家具の配置や荷物の仕分けの事が書かれていた。とにかくお爺ちゃんの日記で、俺のあやふやな記憶が埋まったら心が落ち着き、急に眠くなって寝込んでしまった。