背骨の骨折で注意された事。

  女房の退院予定日は最初1月12日だったが、私が毎日の様に見舞い、夫婦仲と介助への関心が高かった事から、自宅療養も可能と判断され退院が2週間早い12月30日となった。
  退院に際して、病院側から受けた注意事項は『背骨に負荷をかけない事。特に、背骨を回転させない事』だった。
 
  背骨がどの様に損傷を受けたのかMRI画像を見せてもらっても、素人の私には手足の骨の様に明確な破断がないのでよく判らなかった。
  医者はMRIの画像を示しながら、上下に大きな加重がかかれば背骨がさらに潰れるし、背骨を回転させれば破断面が擦れあって、骨が固まるどころか歪んで潰れてしまうと注意した。
  まあ、考えてみれば背骨は缶詰を重ねた様な物だから、一部の缶詰が凹んで、さらに力が加わればその缶詰がもっと潰れるのは想像できる。
  また、MRIで見た背骨は手足の骨の様に密な骨ではなく、何か多孔質な感じで、同じ様な形の軽石が積み重なっているみたいに見える。割れた軽石が回転すれば、破断面がゴリゴリと削り合う様になるのは想像にかたくなかった。
  医者は、上下の圧力はコルセットである程度守られるけど、回転はコルセットでは守れないので充分に注意しなさいと、きつく言われた。
 
  そういえば、私の父方の叔母に胸のあたりの背骨の潰れた人がいて、私は子供心にその叔母を恐ろしく感じていた。その叔母はせむしの様な背中を隠すためにいつも和服を着ていたが、それでも帯から上が寸詰まりなのが判った。
  叔母は『脊椎カリエス』と言っていたが、脊椎カリエス結核菌による病気のはず?。叔母の背骨は浅草のスキヤキ屋で働いていて、階段で足を滑らせて背骨を傷め、痛みが消えたら直ぐに働いたので背骨が座屈してしまったらしい。
  昔はMRIなど無かったし、ギブスをはめて長期療養できるのはお金持ちだけであり、貧乏人は多少の痛みがあったとしても働くしかなかったのである。
  しかし、その代償は大きかった。父方の血筋は器量良しが多く、叔母もその血筋で接客商売で使ってもらえたと思うのだが、背骨が潰れてせむしの様になってしまっては給金の高い働き口も、結婚の機会も失われてしまった。

  もうひとつ思い出した。その叔母はスキヤキ鍋の乗った七輪を持って階段から落ちたので、右側だか左側だか忘れたが、肩から胸にかけて火傷の痕もあり、私はひどく恐ろしく思っていたのだった。