人間は苦痛に耐えるのが苦手。

  空腹にしろ痛みにしろ、人間は苦痛に耐えるのが非常に苦手だ。その証拠に人間は自分で息を止めて自殺する事はできない。虫歯でもズキズキと傷む最中には宿題すらできない。
  心の苦痛も肉体の苦痛と同様に耐えるのは難しい。今回の漫画の処分がそれであったと私は思う。
 
  いままでの女房ならば何とか我慢してくれていた。ところが今回は私の目の前で自分の物を処分し始めたのだ。これにはまいってしまった。とうとう、精神的苦痛に耐えられなくなったのだと私は判断した。
  ヒョットすると、それは精神レベルの低下による精神的苦痛の『閾(しきい)値』の低下。すなわち、ボケが進行して我慢ができなくなってきたのではないかと判断した。
 
  心の苦痛はボケを進行させるので、私は女房の要求に即座に応えて女房の心の苦痛を取り除くために、段ボール箱の置き場所を変える姑息な手段でなく、根本原因を絶つ廃棄処分を選んだ。
  少なくとも、この時の女房は自分の要求が直ちにかなえられたので、心の苦痛は取り除かれてホッとしたはずである。
 
  人間はボケると『待つ』というのが非常に苦手になる。子供が待つのが苦手である様に『待つ』というのは理性的な行為だと思う。
  犬を躾けて『待て』を教えると待つ様になる。しかし、それは『待て』の後に期待した結果があるからだと私は思う。そう感じるのは、猟銃が下手だった頃の従兄弟が、犬に合図して鴨を飛び立たせて撃つのだが1羽も獲れない。そんな事が数回あったら犬がいう事を聞かなくなってしまったという例があったからである。
 
  今回の漫画にしてもそうだと思う。人間だからただ待つのではなく、女房も(結婚前からの愛蔵書)とか(捨てたらかわいそう)とか(ヒョットしたら高値で売れるかも)とか様々な事を考えて我慢していたと思う。
  ところが、今回は我慢の限界が来た。ただキレただけかもしれないが、私達はお互いにいつボケが始まってもおかしくない歳である。軽く考えずに、心を楽にする方を選択すべき時期になったと私は考えた。今後もそういう考え方で私は判断する。