名前は両親からの最初の贈り物。

 どんな民族でも1人1人には名前と呼ばれる固有名詞がある。ほとんどの場合、姓は血筋を表し、名が個人を表す。
 そして、生まれた子供には両親などが子供の名前を決める。だから、名前には子供の幸せな成長を願う思いが込められている。しかし、時に名前には世相が反映される事もある。
 
 私が生まれた頃の名前には『勝利』だの『邦勝』などという戦争の勝利を思わせる名前のついた人が多い。
 かく言う私も、音読みでは『カツ』ではあるが、漢字はウカツのカツである。これが、長兄の名に比べるとお粗末な気がしてコンプレックスとなっている。
 まあ、当時の時流に乗って兵隊さんを増やそうと、親父が頑張って後妻を孕ませて生まれたのはよいが、生まれた子が成人する時には喜寿になると我に返ってウカツのカツを名前に付けたのではないかと思ってしまう。
 山本五十六も父親が56歳の時の子である。もし、私が偉くなったら五十七の方がウカツのカツよりは良かったのではないか、とも思うが五十七もかなり恥ずかしい。
 
 私の親戚に団塊の世代の姉妹がいる。お姉ちゃんには『○○美』という名前を付け、妹には『○○子』という名前が付けられた。
 子供のうちは何という事もなかったが、女は美醜で判断される時が来る。そして、父親似のお姉ちゃんは、母親似の妹より見た目が良くなった。
 妹は名前に『美』が付かなかった事をひどく悲しみ、親から貰った名をうとましがった。そして、自分の名前を嫌う名前コンプレックスになってしまった。
 しかし、今は2人とも似た顔の熟年になっている。お父さん似とか、お母さん似と言われて差があると思っていたのだが、全体的印象は同じになってしまった。
 
 『名前は両親からの最初の贈り物』を肝に銘じ、親は良い名、良い漢字を使った名前を付けるべきだと思う。名前コンプレックスになる様な『○○美』と『○○子』も困るし、音読みなら『カツ』になっても、熟語としてあまり良い意味に使われない漢字は考慮すべきだと思う。
 また、命名については両親に任せ、爺婆が口出しすべきではない。口を出すとすれば、名前だけで兄弟姉妹に差のつく命名や、悪い意味の漢字の注意くらいにとどめるべきだと、私は考えている。