物には買い時がある。

 今のマイカーはホンダのSM-Xである。買ったのは19年前で、値段は約180万円だった。それを使用した年数で割ると、年に約10万円になる。
 車を買い替え様かと思って物色していたら、マツダロードスターRSが目についた。値段は約300万円である。
 実用車のSM-Xとスポーツカーのロードスターを一概に比べる事は出来ないが、19年前という時間差と車格差を考えると、納得できる金額である。
 しかし、私の年齢を考慮すると、頑張ってもあと5年くらいしか乗れない。すると、ロードスターは1年あたり約60万円の道楽となり、SM-Xとは大きな差になる。
(SM-Xはライフスタイルに合い・2シーターは夫婦2人になったから選択肢に入った)
 
 同様に、バイクの事を考えてみると値段は約75万円だった。5年乗るとすると、年に約15万円になる。SM-Xに比べると若干高いが、ロードスターより断然安い。
 若い時には支払金額だけで購入するか否かを決めていて、こういう1年あたりでいくらになるかという考え方をした事はなかった。
 商品寿命よりも自分の寿命の方が短いと感じてからは、こんな考え方をする様になった。まあ、私の現在の生活では、道楽にかけられる金額は年に15万円がよい所だろう。それを夫婦で分け合えば、私の分は7万5千円になりバイクでも贅沢な趣味だといえる。
 人生には、最後の買い時という最終チャンスがあると思う。その時を逃すと、割高な買い物になってしまう。
(買い物は生活費とのバランスで決まる・分不相応だと所有欲は満たしても生活苦が増える)
 
 よく、高齢者の購買意欲が低いと言うけれど、購入時に真っ先に考えるのは『いくらの物を買って何年使うか』である。土葬の国ならば最終の買い物にチタン製の棺桶だって買うが、火葬が当たり前の日本では棺桶なぞ買う意味はない。
 それと、老後を子供が看てくれるならば貯金をし、死後は子供が使ってくれるかもしれない。だが、その希望がなければ刹那的快楽である『食う』にひた走っても仕方がない気がする。
(しかし食い物に群がる老人はおぞましい・決してなるまいぞ内蔵助)