自動車は子宮?

 自動車を単なる移動手段と考える人もいるが、自動車好きの中には意識していなくても自分を包み込む安全なシェルターとして愛している人が少なくない。私にはそれが平穏で安全だった胎児期への回帰の様な気がしてならない。
 それらの人々は愛車を自分好みにドレスアップしたがり、手始めは車内に好きなぬいぐるみなどを並べて自分の部屋の延長とする事が多い。
 
 私は自動車を幌馬車の様な住居兼移動手段と考えているから、格好の良いスポーツカーよりも、大きな荷物を積める1ボックスタイプが好きだ。年に何回か草津に行く時にもノートパソコンと、スキーシーズンにはスキー道具を積み、無雪期には小型バイクを積んで行く。
 私自身は自分を子宮派だとは思っていないが、子供部屋かおもちゃ箱をひっくり返した様な車内を見ると、もし自宅に自室があったら多分そっくりだと思うから、やはり子宮願望が根底にあるのだろうか。
 
 私の様な自動車の楽しみ方も子宮願望と言ってしまうと、家というのも子宮と同じという事になってしまいそうだ。だが少なくとも家には家族がいるので擬似子宮よりも擬似社会と見るべきだろう。とは言え自室に引き篭もって家族が入るのも拒否するようになると、部屋は自動車と同じ擬似子宮になってしまう。
 人間には安全で気ままな空間も必要なのかもしれないが、元々群れて生きてきた人間がそれを求めすぎては、行き過ぎた胎児回帰という気がする。
(私も自分の車好きを反省して女房に謝ろうかな~)