ものを書くという事。

 昔、ドライブ中のカーラジオで柴田錬三郎の対談を聞いた。運転中だったので、どんな対談だったかほとんど覚えていないが、たった1つ『私は先生の大ファンです。先生の人生訓を教えて下さい。』と言われた話をしていた。
 柴錬は『僕の作品は、僕が恥じも外聞もかなぐり捨てて素っ裸になって書いているのだから、生き方についてのすべては作品に書いてあり、主人公に語らせている。』と話していた。
 柴錬を引っ張り出してきて自分の事を論じるのは不遜ではあるが、私の様なブログの管理人でも嘘は書けない。俗人性を出すまいとして嘘を書こうとしても、平素の考えや今までの経験がどうしても染み出してきてしまう。
 今までで一番心に残った人は、小説モドキの『藤原先輩』のモデルになったお公家さんの血筋の人だった。私より少し年上で上級無線技術者で、将来は会社を背負って立つ人材で、私のいた現場には約1ヶ月の現場研修で配属された。
 後日、その人の結婚式に現場の所長が招かれ、所長は一張羅を着て胸を張って出席したが、尾羽打ち枯らし、胸も潰れて帰ってきた。そして『あいつは凄い奴だったんだよ。うちの社長も出席したけど、とにかく政財界の大物が沢山いて、俺は恥をかいた。出席しなければよかった。』と語った。
 その人が私に話した事は『日本の無線の資格は東南アジアではすごく価値があるんだよ。同級生に○○国の友達がいて、日本の1級無線技師の資格を取って帰国したけど、将来、僕が無線機を売り込みに行った時には、郵政大臣みたいなポストに就いているだろう。』くらいだった。
 あと、私が若さで噛み付いたのは天皇制についてだった。チョンガーだったし、左翼的労働運動を信じていたのでやり合ったのだが、平行線は平行線のままで、その人の右翼的考えと私の左翼的考えは絡み合う事がなかった。
 私は労働運動の中で社会主義を学び、革命すらよしとしたのだが、所詮は付け焼刃。その人は先祖代々から右翼的生活をしていたので、私の左翼思想などどこ吹く風だったのだろう。
 私もいい歳になってから、日本には脈々と続く右翼職業(右翼的生活)と、自ら学んでなった職業右翼(生活のための右翼)の2種があるという事に気づいた。