義務教育よ『お前はすでに死んでいる』

 今週月曜日のBSフジ(BS181)プライムニュースで、国会議員の義家弘介、教育評論家の尾木直樹、児童心理司の山脇由紀子、3人のゲストが招かれイジメ問題について考察された。
 その話の中で、そう長くはなかったが『イジメにおける家庭の問題』が話された。私もイジメの根底に家庭での『躾(しつけ)』などの問題があるのは承知している。だが、私は絶対に『イジメ』論議に『家庭での躾』の事は書かない。
 なぜならば『イジメ』の渦中で私達は十分に反省し、苦しんできた。だが、それに対する学校側の反応はどうであったろうか。すべての原因を家庭に求め、学校側の責任まで家庭に押し付けてきたのだ。
 ゆえに、学校で『イジメ』とよばれる『犯罪』が横行するまでに至った。現在の学校における『イジメ』は教師すらも震え上がらせるほどになり、学校はますます『イジメ』を放置した。ゆえに、まず正すべきは学校を無法地帯にした学校側にある。
 
 企業の寿命は30年と言われる。消費者が必要とする商品の寿命は短く、常にニーズに合わせた商品開発をしなければ生き残れないし、社内が停滞すれば不正と腐敗が始まり、企業は内部崩壊する。
 同様の事が教育界には起きていないだろうか。現在の義務教育は、戦前の義務教育の猛反省の上に始められた。それは試行錯誤の連続であり、教育界にも右から左まで様々な思想の教師がいた。
 一時、日教組と右翼は常に争い、労働組合を中心としたデモにおいては、右翼もデモコースに街宣車を出して誹謗中傷したものだった。
 
 大学を見れば判るが、右傾タイプの大学から左傾タイプの大学まである。しかし、それは非義務教育であり、人間形成の重要な時期に当たる義務教育がそうであってはならない。
 それゆえに、文科省は義務教育で教えるべき事を細かく規定してきた。しかし、それは成功しただろうか。
 企業ならば生き残りのために新商品の開発や社内改善に努力するだろう。そういう目で義務教育の現状を見ると、現場の自由度は奪われ、現場が改善に努力する姿も見えない。企業に置き換えれば倒産していても不思議ではない状況にあると思う。
 
 昔は共産主義に傾倒した教師もおり、唯物論的思考から『お前らが生まれたのは父ちゃんと母ちゃんがオ○○コしたから生まれたんだ』と子供に話した教師もいたし、日本帝国が国家に命を捧げるのを美化したのと同様に『人民開放の共産主義革命に命を捧げろ』と話す教師もいた。勿論、右傾教師もいた。
 良し悪しはともかく、試行錯誤ではあっても沸騰するかのごとき熱気があった。それに引きかえ、現代の義務教育現場は氷水のごとき様相であり、学校管理に不都合な事は氷漬けにしたがっている様に見える。
 
 昔が良いとは言わない。だが、現場に改善活動の無いのは好ましくない。企業であったならば倒産の事態なのは間違いない。内部改善が望めないならば裁判員制度と同様に教育員制度の導入もやむを得ないかもしれない。
 私は『裁判員制度』には今も反対だが、義務教育に内部改善が無いならば『教育員制度』には賛成する。