オタク大国ニッポン。

 『オタク』という言葉が一般化したのはパソコン黎明期だが、もともとはアマチュア無線の人々が寄り集まった時に、普段はコールサインで話はしても顔を見た事のない相手を『お宅』とか『お宅さんは』と呼んでいた事に由来する。
 
 まあ、アマチュア無線は人付き合いの苦手な、今でいえば引きこもり傾向のある陰気な趣味と見られていたので『オタク』という言葉は社会的に認知されなかった。
 ところが、8ビットCPUのワンボードマイコンが発売されると、もともと電子回路に興味があり、半田鏝を握るのが大好きなアマチュア無線の人々もそれに飛びついた。
 パソコンはアマチュア無線よりも引きこもり傾向の強い趣味であったのだが、パソコンの普及スピードは非常に早く、ワンボードマイコンから10年もしないうちにマニアの数が急増し、20年ほどで多くの家庭にも入った。
 
 そして、アマチュア無線ではコールサインなら覚えられても、人の名前と顔を覚えられない陰気な趣味の『お宅』が、パソコンの爆発的な普及により、少々能天気なイメージをもつ『オタク』として世間に認められた。
 
 さて、ここで『オタク』という言葉がどんなイメージで使われているのか考えてみると、私的には『世間の役に立たない専門家』という様な意味に感じる。まあ『実務的ではないが凄い奴』とも言えるのではないだろうか。
 
 少々、論の飛躍を認めてもらえるのならば、日本にはそんな人間がごまんといる。そして、堂々と実務的でない技術で飯を食っている。
 強いて言うならば『茶道』『華道』『舞踊』など。それらが生み出すものは短時間のうちに消えていき、実務とは程遠いものである。
 
 そんなふうに考えると、日本は昔から『オタク大国』であったと言える。しかし『人はパンのみで生くるにあらず』の通り、オタクの作り出すものが人間の心を満たしてくれる。
 まあ、一括りに芸術を『オタクの技術』と呼んでしまえば、それは人間としての生活を豊かにしてくれ、心を満たしてくれる。『食べて寝る』以外に心の満足を求める事こそが人間の人間たるゆえんだと私は思う。