『老人学』のすすめ。(番外編2)

 去年に引き続きテレビ朝日が『やすらぎの里』シリ-ズを放送している。現在は過疎化と老齢化の話で、幼馴染のニキビが埼玉に住む娘の家に行く話だが、単に娘の家に同居するというのは老親にとっては幸せではない事がある。
 老親は、実はずいぶんと気を使っているのである。現役世代とは生活時間が違うからおちおちとできない事もある。
 
 私の母親は長男と同居していたが、夜中に度々トイレに立っては寝ている息子夫婦を起こしてしまうとトイレを我慢した。そして、寝小便をしてしまった。息子夫婦や孫にまで笑われ恥をかいたが、真実の(夜中にお前達に迷惑をかけたくなかったから小便を我慢していた)とは言えずに、息子夫婦の『お袋はボケた』という結論を甘んじて受けた。
 
 私は思う。老親が健常で2人残っていれば、老親をすぐ近くのアパートに入れる方が良いのではないだろうか。そうすれば夫婦同時に死ぬ事は稀だから、老親同士夫婦で見守りができるし、子供夫婦に気兼ねしなくてすむ。
 また、1人になってしまっても、健常であればそのまま一人住まいをさせる事は可能である。ただしその時は、若夫婦が常に見守れる地理的条件が必要になる。
 
 私が勤めていた頃に実際にあった事だが、残業で遅くなり帰り道の自宅より手前の母親の住まいの風呂場の明かりが点いているのが気になった。母親の家に入ると母親が見えないので風呂場を開けたら、母親が湯船の縁をつかんで入浴していた。
 ところが、湯船は糞尿で汚れている。慌てて母親を湯船から引き上げようとしたが、体が濡れているので滑ってしまう。自分の着ているスーツも糞尿まみれにしながら母親を引き上げたそうだ。
 もし、風呂場の明かりをに気づかなければ、母親は湯温の低下と気力の低下で糞尿風呂で溺死していただろう。
 
 もう一例は、男ばかり4人の兄弟がいて、長男が母親の面倒を看るという条件で実家に戻ったが、母親がボケたらとても手がかかるので、数か月ごとに他の3人の兄弟の家でも面倒を看る事にし、ボケ母親をタライ回しにした。
 すると、母親は急速にボケてしまった。それは、数か月ごとに間取りの違う環境に連れてこられ、それに慣れる事がボケ母親には大きなストレスになってしまったのだ。まあ、同様な事をするのであれば、母親を自宅から動かさずに介護する家族が入れ替わった方が母親にとってはストレスが少なかったと思われる。
 最終的には入院させたが、入院してからも母親のボケは回復可能な時期を過ぎていたのか、急速にボケが進んだ。結局一番得をしたのは母親の面倒を看るという条件で敷地の広い実家に入った長男であった。