『老人学』のすすめ。(番外編3)

 加齢により人間は体力が衰え、脳力も衰えます。特に高齢者のボケは重大な影響を周囲に及ぼします。
 赤ん坊とボケ老人はよく似ています。ただ、赤ん坊はだんだん知恵を習得し、体が大きくなってきます。ところが、老人は体が大きなまま知恵と理性を失っていきます。体が大きく、しだいにボケの進むのが介護する人の苦労になるのです。
 
 私は父の終末をみて、ボケは大きく分けて『人間期』『動物期』『死期』の3つに分類できると思いました。『人間期』はまだ理性のある時期。『動物期』は理性を失った本能の時期。『死期』は死を待つ時期です。
 
 『人間期』は理性があるといっても、理性は群れて生きる人間の争いごとを少なくするため本能をむき出しにしない様に、大部分が行動の抑制なので健常者でも苦しいものです。
 人間は酒や怒りなどで直ぐに理性は吹き飛ぶものですから、ボケ老人の理性など無きに等しいものなのですが、それでも理性がほんの少し残っていれば会話で自制的行動のとれる事があります。
 
 『人間期』から『動物期』に移行する時に徘徊や咆哮などが出てきます。俗に言う『起きたっきり老人』です。心に何かの目的が生じて家族に黙って外出してしまう様になったり、気に入らない時には大声を出すのがこの移行期です。徘徊中に迷子になって警察のお世話になったり、大声がご近所に聞こえたり大変に恥ずかしい時期です。
 
 完全に『動物期』になってしまえば、人間の三大本能に従った生き方になります。すなわち『睡眠欲』『食欲』『性欲』の充足に行動が変わってきます。
 高齢者において性欲を満たすにはいくつもの条件をクリアしなければならないので、ほとんどの場合は食欲に焦点が移ります。釜の飯を手づかみで食べたり、冷蔵庫のものを手当たり次第に食べたりしますが、後片付けはやりませんから、介護者はボケ老人や部屋をきれいにする事に追われます。
 
 最後に出てくるのは睡眠欲で、これは『死期』に重なります。睡眠欲が欲望なのか気力体力の衰えで寝るだけしかできないのか判りませんが、食事の介護から身の回りの介護まで、生かしておくためのすべてをやるようになります。食べれば排泄もあるわけで、一番大変な時だったと私は思います。

 寝る事が多くなると食事もだんだん食べられなくなり、自分の体に蓄えた栄養を消費していくので、そうは長く生きられません。口から食物を摂取できなると胃ろうという手術もありますが、私はそれをやってほしくありません。
 私の知るかぎりで珍しいのは、ボケた寝たきり老人のはずなのに、食事をさせようと口元にスプーンを近づけると、口をギュッと閉じて食物を拒否する人がたまにいます。
 私は思います。それは意志ではなく、生きるために心臓や肺の筋肉を動かすのもしんどくて、さらに胃袋まで動かすのを体が拒否している気がします。そんな状況は登山などでバテバテに疲れ果て食べても吐く事に似ています。私は激しい骨格筋の疲労が内臓の筋肉労働を拒否している気がします。
 
 そんな経過をたどって私の父は亡くなりました。次回は父の介護での失敗や、その後に聞いた他人の介護の知恵を書きます。