核家族。そして、少子化。

  『子供を笑うな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ。』という言葉がある。人は来し方を忘れてしまい、行く末は未経験なので判らない。さらには、核家族化でそれらについて聞ける人も少ない。すなわち、核家族少子化という世相は伝承や経験する機会というものが極めて少なくなるという事である。
 
  テレビ朝日で『やすらぎの郷』というドラマが放映されている。よく知っている俳優が演技なのか地を出しているのか判らないのでとても面白い。
  その後、NHKの『72時間』という番組で油壷エデンの園という有料老人ホームのドキュメンタリーが放送された。私は、ここのシステムが『やすらぎの郷』に似ていると感じたし、個人的には良い老人ホームだと思う。ただし、少しお高くて私には入居できそうにない。
 
  私は父母の死に水は自宅という時代だったから、父が脳溢血ののちに痴呆が進み、人間から動物になっていくのを見た。この時は、母と叔母の2人で父を看たが、大きな体の父を動かす時には男手が必要だった。
  もちろん、痴呆の進行途中では父が暴力的になる事もあり、そんな時こそ男手の出番となった。また、知らぬ間にねまき姿で外に出てしまえば皆が羽織らせる物を持って家族全員が走り回りもした。
  これらは、女手が2人と、私たち2人の未婚の息子がいたから出来た事であり、少子核家族化の進んだ現代ではまず無理で、他人の手を借りなければならない。
 
  アメリカ映画『コクーン』はアメリカの老人問題を扱った映画で、何となく『やすらぎの郷』に似ている。大人になったら親から離れて自分の新天地を開拓するフロンティアスピリットが文化として根付いているアメリカらしい映画だった。
  そして、現代日本の少子核家族化はフロンティアスピリットとは違う日本ならではの理由によるが、老人問題は似てしまう。私はいわゆる漂流老人問題なのだと思う。まあ、漂流老人問題だって新しい問題ではない。古くはシェークスピアの『リア王』もそれである。
 
  子育てでも判るように、1人の人間が1人の人間の面倒をみるのは、私の父母の看取りと子育ての経験からでも大変である。
  老親の看取りというものは、対人地雷で傷ついた兵士を2人の兵士が安全な後方に移動させるのに似ている。それは勝ち戦のときで、敗走になれば手間のかかる傷病兵などはその場に捨てられるか、味方に撃ち殺されるのに似た状況も起こるのである。
 
  私の親戚に1家族、知人に1家族。未婚の娘が母親を看ている2人家庭があるが、どちらも結婚した兄弟姉妹が介助や介護に協力するそぶりはない。
  すでに、それら結婚した兄弟姉妹の子供たちは別個に家庭を持ち独立しているのに、兄弟姉妹は『子供たちの事で忙しい』と口裏を合わせた様な理由を言うそうだ。
  兄弟姉妹の中には(お母さんの年金だけでなく貯金まで使っている)と聞こえる様に陰口をいう者もいて、ひどく傷つくと嘆いていた。