『あおり運転』について考える。

 私は数年前に四輪を手放したが、四輪をやめる前から(最近の運転はなにかおかしいな~?)と感じていた。昔は同じ道路を同じ方向に走っているドライバー同士には何か無言の連帯感の様なものがあったはずなのに、それがだんだん無くなっているのが気になっていた。
 
 その一つが手信号だった。合流などで一番感じていたのだが、昔は窓を開けて運転席から手を上げて(入れてくださ~い)と合図をし、入れてもらったら(ありがと~)と手を振った。ところが、入れてくださいの合図も無くウィンカーだけで入ってくるし、ありがと~は手を振るのではなく、大型車並みに前方混雑で使うハザード表示(本当は、ありがと~に使うのは法令違反)をするか、何もしないかである。
 大型車があれをやるのは、運転席からいくら手を振っても荷台にさえぎられて後続車に見えないから、大型車の運転手が始めたのだ。乗用車なら後ろから見えるので手を振って(ありがと~)と合図してくれたらギスギスした気持ちになるわけはない。
 この他にもいろいろあるが、車がオートマになってから運転手が横柄な怠け者になり、同じ道を同じ方向に走っているドライバー同士の連帯感が薄くなった気がしてならない。
 手信号を復活してみたら、ひょっとして『あおり運転』は減るかもしれない。同じ道路を同じ方向に走っている運転手の無意識の連帯感が無くなるのは、運転業務に従事している人間として恥ずかしい事だと私は思う。(あおり運転手は職場の困ったチャン状態?)
 
 自家用車で家族旅行に行く時でも、運転免許証を持って運転するという事は運転業務に従事しているという事である。すなわち、運転免許証は運転する事のプロという証明であるから、昔は事故を起こせば業務上という文字がついたものだ。
 私は交通事故から業務上という言葉が消えたのは政策的失敗だと思っている。業務上という言葉が消えて、人を殺す事だってできる自動車の運転が非常に軽くなってしまった気がするし、運転手としての自尊心も消えてしまった気もする。