コロナによる外出自粛だとブログが更新できない。

 うちでは結婚以来約50年間一度も夫婦喧嘩がありません。第一の理由は相手に対して不快感情の表現方法が変わっているからです。相手の行為が不愉快な時には『ガウガウ』とか『ワンワン』と不快感情を言葉でなく音で表現します。
 そうすれば『売り言葉に買い言葉』にならず、不愉快な理由を話し合う事が出来ます。なぜか新婚時代から自然とそうしていて、今ではその表現を夫婦のどちらから始めたかも覚えていません。

 そんなこんなで、私たちは仲の良い夫婦なのだと2人共思っています。このコロナ禍での不要不急な外出を控える中でも、手を握り合ったりしてすごしています。
 そんなわけですから、私がパソコンでブログを書いたりネット徘徊すると、かまってほしくてキーボードに乗っかる猫の様にチョッカイを出してきます。そんな時にはパソコン作業は中断です。

 そのほかにも女房を邪険にしないのには理由があります。それは2015年12月15日の夜中、トイレに立った女房が階段落ちしたからです。私は家庭内事故はボケの始まりと考えています。そして、ボケの進行を抑えるには優しく愛する事だと信じています。
 些細な事ですが、家具に足の小指をぶつけたりという様な失敗だって、自分の身体感覚や注意力が低下しているという事です。そして本人も恥ずかしい思いをしていますから、それを笑ったり、叱咤激励しても良い結果が出るとは思いません。優しく愛でつつむのが一番だと私は信じています。

 女房の階段落ちからボケが始まったと考え、脳の活性化には何が良いかを考えましたが、高卒の私には何も思いつきません。唯一考えられたのが恋愛感情です。まあ、恋愛は心がウキウキワクワクしますし、何より幸せ感で一杯になります。だから、たぶん脳の活性化になるのではなかろうかと思ったのです。
 そして毎日、女房とハグしたりイチャついたりしています。寝床は別ですが、老化で朝の目覚めが早くなり、3時or4時に目覚めますから、2人が目覚めたら私が女房の床に行き抱き合います。
 今、75歳と70歳ですが時にはSEXもします。そのあと女房が7時頃まで寝てくれるととても嬉しいんだけど、それがキッカケで起きてお茶と羊羹になってしまう事もあります。歳だからそれも良しとしています。

血液とお金は流れが滞ると病気になる。

 私がお公家さんの若い課長から聞いた言葉の『明治維新はなぜ起きたか』と『金持ちには金を使う義務がある』には密接な関係がありました。
 
 『明治維新はなぜ起きたか』の教科書とは違う視点は、大商人が蓄財をしたからだという点にありました。
 昔から商人は商売のためにお金を用意しなければなりません。ゆえに習慣的に蓄財に気をつかい、悪くすると必要以上に貯めてしまいます。
 昔の蓄財は貨幣の備蓄です。当時の高額貨幣の基本は金銀でしたので、蓄財が進めば市中に流通する金銀が減少します。すなわち、大商人の蓄財が進むとお金の流通が低下して慢性的な不景気になるという事です。
 バブル崩壊を経験した世代には、不景気の沈滞した気分と陰鬱な気分を何とかしてほしくて社会変革を望む気分の高まるのが理解できるはずです。若い頃には何度も読破に挫折した小説『夜明け前』にもそんな現状打開への気分と夢の高まりが書かれています。
 
 金銀が貨幣の基本でありながら、大商人が貨幣を備蓄して金銀の流通が滞り、江戸幕府すら貨幣改鋳のたびに金銀の量を減らすというインフレ現象も生じ、それらの社会的不満が世間に蔓延したのが明治維新の下地になったと課長は話しました。
 この歳になってやっとそれが判りましたが、いま思えば旧家には歴史を正確に伝える家族文化があったという事です。
 振り返ってみると私は経験でしか学べない男でした。先祖の事でも、祖父すら住まいと職業程度しか判らないトホホ状態ですから、下層階級の生活も仕方のない事とあきらめています。
 
 『金持ちには金を使う義務がある』というのは明治維新だけではありません。歴史的に権力の集中と貧富の格差は社会的不安をもたらしてきました。ゆえに、幾多の権力者が神社やお寺に寄進という形で建物などを修復したりして経済を回してきたのです。
 言ってみれば、神社仏閣への寄進というのは経済効果の伴うセレモニーです。戦いにもある種の経済効果はありますが、戦いは人心を荒らしてしまいます。ところが社寺仏閣への寄進は人心を活性化する効果がありましたので、良いお金の使い方だったと私は思います。
 振り返って現代のお金持ちは良い方向でお金を使っているでしょうか。私には、よりお金を稼ぐためだけにお金を使っている気がします。(下層階級のヒガミです!!)

ほぼ1年ブログを更新せずになさけない思いです。

  昨年春からコロナ禍で引き篭もり生活を送る様になり、我が身75年の越し方を考えてみましたが、赤ん坊から成人するまでの約20年間は現在に通ずる思い出と知恵はほぼありませんでした。
  いまここに書けるのは25歳くらいの時に聞いた社長候補の国立大学院卒のお公家さんの血筋の課長との話です。私より数歳年上の課長でした。入社して即課長で、私の様な下級無線屋には理論家だが無線機を直すスキルの無い大嫌いなタイプでした。ですから私はこの課長の話を真面目には聞きませんでしたし、聞くときの態度も悪かったはずです。
  しかし、しかしです。それから50年後の昨年。私はやっとそのお公家さん出身の課長の話が理解でき、すべてが腑に落ちました。一番最初に腑に落ちたのが『Goto政策』です。

 

  50年前、お公家さんの若い課長から『不景気の時には税金から給料の出る役人が金を使え(役人は不景気でも手取り額の低下がないから率先して使え)』と『不景気の時の金の使い方は川上産業で使え(使った金が広くいきわたる使い方をしろ)』それから『金持ちには金を使う義務がある』という話を聞かされました。

 

  『Goto政策』は『不景気の時の金の使い方は川上産業で使え』にあたります。税金で補助するわけですから『不景気の時には税金から給料の出る役人が金を使え』に近い政策でもあります。
  旅行に行くわけですから旅行関係業、交通関係業、宿泊関係業に金が流れます。特に、宿泊業というものはその地域における総合商社の様なもので、地域の魚、肉、野菜、酒などの食品業に金が流れるだけでなく、クリーニングなどの清掃関係や遊戯関係にも金が流れます。宿泊業は地域における川上産業なので、地域の商店に広くお金が流れるのです。

 

  現代の政治家にもそんな常識が語り継がれていて『Goto政策』が実施されたのでしょう。しかし、その常識は50年前の常識であって、感染症大流行のコロナ禍にあっては感染を広げただけの失敗政策だったと思います。ようするに、感染症による不景気は戦後に経験した事のない状況だったという事です。
  『金持ちには金を使う義務がある』という言葉にあたる事例を書いていませんが、それは『明治維新はなぜ起きたか』に関連がありますので次のブログで書きます。

『老人学』のすすめ。(リアル編01)

 3月14日の『老人学』のすすめ。(番外編4)で、私自身のボケに気がついたと書きました。そして、私は自分のボケ対策を長い時間軸で考える事にしました。
 第一に考えたのは『今までの生活習慣の変更』です。
 
 ボケ老人を世話する時に一番大変なのが食事と排泄です。また、外に出てしまう徘徊もご近所や警察などに迷惑をかけるので大変ですが、食事は日に3回かそれ以上になりますし、排泄は小便が日に10回くらいで、大便は日に1回くらいですが、その介添や始末は本当に大変です。
 すなわち、食事と排泄を良き習慣に変えれば介護者の苦労は若干であっても軽減できると考えました。そして、良き習慣への見直しは、自分自身がボケを認識したら始めるべきです。ボケたら生活改善なんて絶対にできませんから。
 
 小便は吸水性の良いオムツがありますので何とかなるかもしれませんが、大便は不定期であり、硬軟と量の変化もありますので現在の良質なオムツでも大変でしょう。
 また、歳をとると消化機能が落ちて排便がスムーズにいかなくなります。現に私も若いころに比べれば体内通過時間がかかる様になって、便が壁土の様になって肛門を洗う時があります。それと、大便には消化酵素が含まれますので、排便後の肛門の手入れをおろそかにすると皮膚が荒れて病人が苦しむ事になります。
 まだ出るうちはよいのですが、時に糞詰まりとなって何日も出なくなる事もあります。そうなると、肛門を開く道具とスプーンで掘り出さなくてはなりません。
 
 いろいろ汚らしい話を書きましたが、私はこの状態をどの様に改善するか、約1ヶ月間自分自身で実験してみました。
 睡眠中の小便の量を減らすには、利尿作用のあるコーヒー・紅茶・緑茶などは午前中に飲み、午後は白湯(さゆ)を飲むのが一番です。その他の方法としては、夜の食事は保水性の良いパスタにしたり、塩分不使用のナッツなどを食べて水分が消化器からゆっくりと体内に取り込まれる様にする事です。
 また、塩分濃度の高い味噌汁は朝食にとり、夕食ではスープなど塩分濃度の低い物にして食後の水分をとりすぎない様にした方がよいと思います。
 
 大便については年齢とともに衰える消化管の通過をよくする事です。
 私は1日に1回はパンを食べる事とし、パンをオリーブオイルに浸して食べる事を試してみました。これは大変良い結果をもたらしました。食物の体内滞留時間が短くなるので壁土の様な便は治り、トイレットペーパーの汚れも非常に少なくなりました。
 
 私が何年後に介護を受ける様になるかは判りませんが、この様な食習慣を身に着けて介護してくれる人の苦労を、ほんの少しでも減らしたいと考えています。

『老人学』のすすめ。(番外編4)

 老親介護で一番大切な意識は『体力・脳力は低下してもプライドは低下しない』という事実です。特に男親には『私は父親』という絶対的プライドが残っています。
 我が家の親父の介護のトラブルも、父親のプライドによる非妥協的姿勢と、介護する家族の実務的困難さに起因する事が多々ありました。
 
 ある時、親父が「友人に貸した金を返してもらいに行く」と家を出ようとしました。貸したお金はすでに返されているし、貸した友人もすでに亡くなり、親父はその方の葬儀にも出ていました。
 いくら説得しても聞かないので、とにかく外出させてはまずいと、長兄が玄関の硝子戸を外側から押さえて開かない様にして外出をあきらめさせました。庭から外に出る事もできるのですが、親父にはそれが考えつきませんでした。
 
 そんな事が度々ありましたが、妄想の時期を過ぎると、欲求は食欲に移り食べてから1~2時間すると食べたがり、はじめのうちは『○○時に食べましたよ』と言えば納得したのが、そのうち食べ物を出さないと大声を出す様になりました。
 初めのうちは、冷めたご飯でも茶碗に盛り漬物などを上に乗ただけでも何とかなりましたが、そのうち気に入らなければ茶碗を投げるようになりました。ずっと時が経ってから同じ様に介護経験のある方から聞いた話ですが、お母様を介護したその方は小さなおにぎりを作っておいたそうです。お母様は食べたことを忘れるだけですから、お腹は空いていないので小さなおにぎり1個でも満足したそうです。
 
 体がもっと衰えると食欲は収まりましたが、筋肉も衰え歩くのがままならなくなるだけでなく、箸が上手く使えなくなりました。スプーンを持たせるのですが、親父のプライドでスプーンを使う自分を受け入れなくて箸を使って食卓から着物まで汚しました。
 その後は寝たり起きたりになり、目を覚ました時に食事を食べさせる様になり、介護でスプーンから食べさせてもらうのは拒否しませんでしたが、食は徐々に細くなり痩せてゆき、1年半ほどで老衰で亡くなりました。
 
 
 
 親父の介護ではもっともっとありましたが、今回は通り一遍な事しか書けませんでした。実は、私自身にボケの症状が出はじめたのです。
 発見のきっかけは、確定申告でした。会場で清書して申告し、受理してもらいました。そして会場を出たわけなのですが、机の上の下書きや電卓を置き忘れたのです。すぐに戻って事なきをえましたが、これは二つの事をやる能力が衰えた事にほかなりません。
 私はこれを自分のボケの第一歩ととらえ、これからは慣れた仕事でも習慣的に行うのでなく、意識の根底にダブルタスク実施中と常に考えながら作業するようにします。
(恥をかかないためにです、そしてプライドを傷つけないためにです)
 老親介護で一番大切な意識は『体力・脳力は低下してもプライドは低下しない』という事実です。特に男親には『私は父親』という絶対的プライドが残っています。
 我が家の親父の介護のトラブルも、父親のプライドによる非妥協的姿勢と、介護する家族の実務的困難さに起因する事が多々ありました。
 
 ある時、親父が「友人に貸した金を返してもらいに行く」と家を出ようとしました。貸したお金はすでに返されているし、貸した友人もすでに亡くなり、親父はその方の葬儀にも出ていました。
 いくら説得しても聞かないので、とにかく外出させてはまずいと、長兄が玄関の硝子戸を外側から押さえて開かない様にして外出をあきらめさせました。庭から外に出る事もできるのですが、親父にはそれが考えつきませんでした。
 
 そんな事が度々ありましたが、妄想の時期を過ぎると、欲求は食欲に移り食べてから1~2時間すると食べたがり、はじめのうちは『○○時に食べましたよ』と言えば納得したのが、そのうち食べ物を出さないと大声を出す様になりました。
 初めのうちは、冷めたご飯でも茶碗に盛り漬物などを上に乗ただけでも何とかなりましたが、そのうち気に入らなければ茶碗を投げるようになりました。ずっと時が経ってから同じ様に介護経験のある方から聞いた話ですが、お母様を介護したその方は小さなおにぎりを作っておいたそうです。お母様は食べたことを忘れるだけですから、お腹は空いていないので小さなおにぎり1個でも満足したそうです。
 
 体がもっと衰えると食欲は収まりましたが、筋肉も衰え歩くのがままならなくなるだけでなく、箸が上手く使えなくなりました。スプーンを持たせるのですが、親父のプライドでスプーンを使う自分を受け入れなくて箸を使って食卓から着物まで汚しました。
 その後は寝たり起きたりになり、目を覚ました時に食事を食べさせる様になり、介護でスプーンから食べさせてもらうのは拒否しませんでしたが、食は徐々に細くなり痩せてゆき、1年半ほどで老衰で亡くなりました。
 
 
 
 親父の介護ではもっともっとありましたが、今回は通り一遍な事しか書けませんでした。実は、私自身にボケの症状が出はじめたのです。
 発見のきっかけは、確定申告でした。会場で清書して申告し、受理してもらいました。そして会場を出たわけなのですが、机の上の下書きや電卓を置き忘れたのです。すぐに戻って事なきをえましたが、これは二つの事をやる能力が衰えた事にほかなりません。
 私はこれを自分のボケの第一歩ととらえ、これからは慣れた仕事でも習慣的に行うのでなく、意識の根底にダブルタスク実施中と常に考えながら作業するようにします。
(恥をかかないためにです、そしてプライドを傷つけないためにです)

『老人学』のすすめ。(番外編3)

 加齢により人間は体力が衰え、脳力も衰えます。特に高齢者のボケは重大な影響を周囲に及ぼします。
 赤ん坊とボケ老人はよく似ています。ただ、赤ん坊はだんだん知恵を習得し、体が大きくなってきます。ところが、老人は体が大きなまま知恵と理性を失っていきます。体が大きく、しだいにボケの進むのが介護する人の苦労になるのです。
 
 私は父の終末をみて、ボケは大きく分けて『人間期』『動物期』『死期』の3つに分類できると思いました。『人間期』はまだ理性のある時期。『動物期』は理性を失った本能の時期。『死期』は死を待つ時期です。
 
 『人間期』は理性があるといっても、理性は群れて生きる人間の争いごとを少なくするため本能をむき出しにしない様に、大部分が行動の抑制なので健常者でも苦しいものです。
 人間は酒や怒りなどで直ぐに理性は吹き飛ぶものですから、ボケ老人の理性など無きに等しいものなのですが、それでも理性がほんの少し残っていれば会話で自制的行動のとれる事があります。
 
 『人間期』から『動物期』に移行する時に徘徊や咆哮などが出てきます。俗に言う『起きたっきり老人』です。心に何かの目的が生じて家族に黙って外出してしまう様になったり、気に入らない時には大声を出すのがこの移行期です。徘徊中に迷子になって警察のお世話になったり、大声がご近所に聞こえたり大変に恥ずかしい時期です。
 
 完全に『動物期』になってしまえば、人間の三大本能に従った生き方になります。すなわち『睡眠欲』『食欲』『性欲』の充足に行動が変わってきます。
 高齢者において性欲を満たすにはいくつもの条件をクリアしなければならないので、ほとんどの場合は食欲に焦点が移ります。釜の飯を手づかみで食べたり、冷蔵庫のものを手当たり次第に食べたりしますが、後片付けはやりませんから、介護者はボケ老人や部屋をきれいにする事に追われます。
 
 最後に出てくるのは睡眠欲で、これは『死期』に重なります。睡眠欲が欲望なのか気力体力の衰えで寝るだけしかできないのか判りませんが、食事の介護から身の回りの介護まで、生かしておくためのすべてをやるようになります。食べれば排泄もあるわけで、一番大変な時だったと私は思います。

 寝る事が多くなると食事もだんだん食べられなくなり、自分の体に蓄えた栄養を消費していくので、そうは長く生きられません。口から食物を摂取できなると胃ろうという手術もありますが、私はそれをやってほしくありません。
 私の知るかぎりで珍しいのは、ボケた寝たきり老人のはずなのに、食事をさせようと口元にスプーンを近づけると、口をギュッと閉じて食物を拒否する人がたまにいます。
 私は思います。それは意志ではなく、生きるために心臓や肺の筋肉を動かすのもしんどくて、さらに胃袋まで動かすのを体が拒否している気がします。そんな状況は登山などでバテバテに疲れ果て食べても吐く事に似ています。私は激しい骨格筋の疲労が内臓の筋肉労働を拒否している気がします。
 
 そんな経過をたどって私の父は亡くなりました。次回は父の介護での失敗や、その後に聞いた他人の介護の知恵を書きます。

『老人学』のすすめ。(番外編2)

 去年に引き続きテレビ朝日が『やすらぎの里』シリ-ズを放送している。現在は過疎化と老齢化の話で、幼馴染のニキビが埼玉に住む娘の家に行く話だが、単に娘の家に同居するというのは老親にとっては幸せではない事がある。
 老親は、実はずいぶんと気を使っているのである。現役世代とは生活時間が違うからおちおちとできない事もある。
 
 私の母親は長男と同居していたが、夜中に度々トイレに立っては寝ている息子夫婦を起こしてしまうとトイレを我慢した。そして、寝小便をしてしまった。息子夫婦や孫にまで笑われ恥をかいたが、真実の(夜中にお前達に迷惑をかけたくなかったから小便を我慢していた)とは言えずに、息子夫婦の『お袋はボケた』という結論を甘んじて受けた。
 
 私は思う。老親が健常で2人残っていれば、老親をすぐ近くのアパートに入れる方が良いのではないだろうか。そうすれば夫婦同時に死ぬ事は稀だから、老親同士夫婦で見守りができるし、子供夫婦に気兼ねしなくてすむ。
 また、1人になってしまっても、健常であればそのまま一人住まいをさせる事は可能である。ただしその時は、若夫婦が常に見守れる地理的条件が必要になる。
 
 私が勤めていた頃に実際にあった事だが、残業で遅くなり帰り道の自宅より手前の母親の住まいの風呂場の明かりが点いているのが気になった。母親の家に入ると母親が見えないので風呂場を開けたら、母親が湯船の縁をつかんで入浴していた。
 ところが、湯船は糞尿で汚れている。慌てて母親を湯船から引き上げようとしたが、体が濡れているので滑ってしまう。自分の着ているスーツも糞尿まみれにしながら母親を引き上げたそうだ。
 もし、風呂場の明かりをに気づかなければ、母親は湯温の低下と気力の低下で糞尿風呂で溺死していただろう。
 
 もう一例は、男ばかり4人の兄弟がいて、長男が母親の面倒を看るという条件で実家に戻ったが、母親がボケたらとても手がかかるので、数か月ごとに他の3人の兄弟の家でも面倒を看る事にし、ボケ母親をタライ回しにした。
 すると、母親は急速にボケてしまった。それは、数か月ごとに間取りの違う環境に連れてこられ、それに慣れる事がボケ母親には大きなストレスになってしまったのだ。まあ、同様な事をするのであれば、母親を自宅から動かさずに介護する家族が入れ替わった方が母親にとってはストレスが少なかったと思われる。
 最終的には入院させたが、入院してからも母親のボケは回復可能な時期を過ぎていたのか、急速にボケが進んだ。結局一番得をしたのは母親の面倒を看るという条件で敷地の広い実家に入った長男であった。