『老人学』のすすめ。(番外編)

 今、真剣に悩んでいる事があります。それはオートバイの事です。ホンダのCTX700を所有していますが、女房の健康が心配では遠乗りできません。そこで二人乗りの楽なサイドカーを物色していましたが、踏ん切りがつきませんでした。
 また、立ちゴケしても200Kgを越す車体を起こせるかどうかの自信も失いつつありますので、サイドカーならコケる心配が大幅に減少するので欲しかったのです。
(日本だとサイドカーの舟はオートバイの左側につく事が多く、左折時には舟が浮き上がってオートバイが右側に転倒する事があります。サイドカーの転倒は二輪の転倒より痛そうですね~)
 
 そろそろCTX700を手放そうと思うのですが、巷には『自動車をやめるとバカ(ボケ)になる』という意見があります。私も絶対にそう思いますし、私はもっと強硬な自説を持っています。それは『オートマ車を運転している奴は馬鹿』とか『ナビを使う奴は馬鹿』というものです。
 マニュアル車なら、コーナーでどれくらい減速してギアを1段落とすか2段落とすかを考えますし、コーナーの先の道幅が広いのか狭いのかも推測します。街中では前方の信号がいつ変わるかとか、右折の対向車があるかどうかとか、歩行者や自転車の有無にも気を配り適切なギアにシフトします。
 カーナビについては事前に道路地図でコースを検討して出来るかぎり地図を暗記します。それから、走行中には道路標識をよく見ます。何よりかにより迷う事を楽しむ気分を持っていれば間違えても余裕をもって対応できます。
 
 すなわち、マニュアル車の運転はオートマ車以上にいくつもの事で頭を使うのです。これがオートバイとなるとバランスもとらなければなりませんので、頭をさらに使います。
 ですから(くどいな~)、大きなオートバイを手放しても、250ccくらいのは所有した方がいいのかな~と、ウジウジ悩んでいます。
 でも(本当にくどいぞ。コラ!!)、女房の具合が思わしくなければ、年に200Kmくらいしか乗れないのです。仕方がないから、オートバイの代わりに犬(ラプラドール)でも飼おうかな~とも考えます。(犬を飼うのも子供の頃からの夢でしたので悩みます)


 まだまだありますが、今日はこの辺で失礼します。

『老人学』のすすめ。(その2)

 『老人学』を学ぶには、体力や記憶力などの衰えを自覚する必要があり、その後に『老人学』の学びが始まる。
 
 私が老化による記憶力の衰えを感じたのは、庭から車を出した後に外したチェーンを戻すのを忘れてしまう事であった。女房から「今日もチェーン忘れてたよ!!」と言われるのも悔しかったので真剣に方策を考えた。
 いくら気をつけても忘れるので、車を出す時の手順を変えてみた。それまでは車を出して直ぐに荷物を積み込んでいたが、車を出したらチェーンの位置までバックしてチェーンの前で荷物などを積み込む様にした。これでチェーンのかけ忘れが無くなった。手順を変える事でうっかりミスを防げたのである。
 
 その後に起きたうっかりミスはトイレの電気の消し忘れだった。これは電気器具の使いにくさも関係する。
 昔の壁面スイッチはトグルスイッチだったので、スイッチの上下でON/OFFが確認できたが、スイッチが接触不良になったので取り替える時にはトグルスイッチがドイトから消えていて、押すたびにON/OFFの切り替えプッシュスイッチしかなかった。
 プッシュスイッチがOFFの時にはスイッチ内の赤色発光ダイオードが点灯するのだが、哀しいかな老眼で斜めの方向からだと、それが見えないのである。
 これは機能改善で消し忘れを気にしなくてもよい様にした。まずは照明を電球からLEDに取替えて省電力化をはかった。次に、照明の配線を換気扇のタイマースイッチの後になる様に接続替えした。これにより換気扇のスイッチを入れなければ照明が点かない回路となり、照明のスイッチを切り忘れても換気扇のタイマースイッチが設定時間で切れれば照明も切れるというズボラ方式にしたのである。
 それと、照明スイッチのプッシュ面に百均から両面テープで貼り付ける小さなボタンみたいな滑り止めを買ってきてプッシュ面に貼り付けた。押し心地が良くなって押し忘れも少なくなった。
 
 まだまだありますが、今日はこの辺で失礼します。

コーンウィスキーって、バーボンウイスキー?。

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おもてラベル

 今日、ワイルドターキーを買いに行ったら面白いアメリカンウィスキーが2種類並んでいた。共にコーンウィスキーと書かれていたけどバーボンウィスキーとは違うの?
 一つは模型エンジンの燃料みたいな赤く小さな平べったいブリキ缶で少々お高い。もう一つは写真のジャムの瓶みたいなウィスキーらしからぬやつ。どうやってグラスに注ぐのか頭に『?印』が生えたし、ガソリン缶のコーンウィスキーより安いので買ってしまった。
 まさか瓶の蓋をあけたら口をつけて『 ング ング ング 』と呑むわけではないだろうが、とにかく面白い。写真を撮って蓋を開けてスプーンでグラスに入れた。色は透明でまるで焼酎。
 匂いもワイルドターキーみたいな香りはない。本当に焼酎みたいだと口に含んだら意外とマイルドで飲みやすく、わずかに甘みを感じた。つまらん、つまらん、つまらん。私は不味いバーボンウィスキーを探しているのだ。
 
 西部劇では流れ者のカウボーイがグラスの酒を一気呑みする。あれは粋や酔狂で一気呑みするのではなく『不味いから一気呑みするしかない』のだと私は信じている。だから西部劇の中には若いカウボーイが咽せて周囲から笑われるシーンの出てくる映画もある。今回はじめて買ったコーンウィスキーはマイルドで咽せるような酒ではない。
 不味い酒を呑みたかったら、アルコール度は低くても50年前の宝焼酎にするか、無水アルコールを水で薄めるかしかないのだろう。そのころ私が呑んでいたのは不味いオーシャンウィスキーだったが、給料日前の財布にあわせて買った50年前の宝焼酎はさらに不味かった。オーシャンウィスキーも不味いのて、時には呑み残しに火をつけた事もあったが、それより不味かった宝焼酎も今になればもう一度呑んでみたい不味さになった。(記憶の美化?それとも風化?)

『老人学』のすすめ。(その1)

 今年の正月に親しい仲間と話していたら一瞬座がしらけたので、私が「最近、寿命は残り少ないのに毎日の時間は有り余っている」とつぶやいたら大うけした。それを期に年寄りの失敗談で盛り上がり、出るわ出るわで大笑いの宴会になった。
 
 それ以来、何とはなしに(歳をとるにも学びが必要かもしれない)と考える様になった。それもそうだ。赤ん坊が成長するに従い、その年頃に初めて出合った事で知恵や知識を学んだ様に、初めて老人になる年寄りだって今までの経験と勘だけでなく学びが必要なのではないかと考える様になった。
 『寿命が少ないのに時間は有り余る』というのだって、時間が有り余るのではなく、いくつかの仕事が1日でできなくなってきたというのが本音である。達者で働き盛りの頃ならいくつかの仕事を1日で片付けられても、歳をとると1日一つ片付けるのがやっとという事が起こってくる。
 
 力仕事など、一段落ついたのでお茶を飲んでくつろぎ、さて続きをやろうとしたら腰の辺りがグキとして続けられなくなるという事だって起こりうる。すなわち、時間は有り余っているわけではなく、仕事を片付けるために時間がかかると言い換えるべきかもしれない。
 現に我が家には、2年ほど前に切り倒した白樺の一番太いやつが始末されずに寝転び、所々に名前も判らぬキノコが生えている。私は始末しない言い訳に『家にある小さな鋸では、息は切れても幹が切れない』と言い訳していたが、キノコが生えていてしまって女房のお怒りモードが著しく上昇して、2月半ばまでに始末する事を約束させられた。
(骨身にしみる苦行になるしタイムリミットのある仕事は今も昔も大嫌い・笑)

『急性コーヒー中毒』で学んだ事。

 人間は痛みに恐怖を感じるという事実と、処方箋で入手できる鎮痛消炎剤の効かない痛みがあるという事。
 
 今回の『急性コーヒー中毒』は肩から首にかけての筋肉が動くと激痛がはしる症状だったので、動かずに仰向けに寝ていれば痛みはほとんど感じなで寝ていられる。とはいえ、仰向けででいつまでも寝られるわけもなく寝返りをうちたくなる。
 寝返りをうちたくて腕を動かすと、わずかの首の筋肉も動くらしくて激痛がはしる。とにかく、動かせばおそってくる筋肉痛の恐怖に頭を動かす事ができなかった。
 私は持病の痛風があるので、鎮痛消炎剤の『ボルタレン』を持っている。そこで『ボルタレン』を呑んでみたが、筋肉が動く時だけに発生する痛みを抑える事ができなかった。
 
 それから、他人の手助けに頼っても『急性コーヒー中毒』の痛みは軽減しないという事実である。実は1回だけ女房に寝返りを手伝ってもらったが、外力によって首が動いても痛くて痛くてしょうがなく、手助けを断った。まあ、言い方を変えると女房に痛くされている様な気持ちにさへなるのであった。(女房にすれば『厄介な病人』である)
 更に私は思う。この様な持病のある老人は、老人ホームでのヘルパーの手助けが、ヒョットして痛みを引きおこすとしたら、介護される老人はワガママな手のかかる老人としてしか認識されないだろう。これは介護される者と介護する者どちらにとっても不幸な事である。
 
 そして思い出した。お袋が「手をひいてもらっても、ちっとも楽じゃあない」と言った事があった。
 お袋は「私も若い時には年寄りの手をとって歩いた事があるけど、いまお前に手をひかれても辛いだけだ」そして更に「片手でなくお前が後ろ向きになって、子供を歩かせる時の様に両手を一定の高さにしてくれる方が楽だ」と言った。
 その言葉を聞いて私は思った。片手をひいても歩けば体のバランスがくずれるので、その都度さまざまな筋肉を使ってバランスをとるのに疲れるのだろう。
 そして家の中での移動は赤ちゃん方式の様に、お袋から私の手を握らせる様にした。お袋が足を動かすたびに私の左右の手の片方に加重がかかる。支える手の高さを変えない様に腕の力を加減する。赤ちゃんならともかく、50Kgにも満たないお袋の体重でもかなりくたびれた。
 当然ながら、お袋が一番楽な支え方であっても、このやり方では外出はままならない。お袋が老衰で死んだのなら、私は介護疲れになってしまったと思う。お袋の最後は癌による病死だったので、モルヒネにより眠りっぱなしで死んだ。
 脳溢血で4年半。徘徊やら寝たきりやらの介護の末に死んだ親父よりも、家族にとっては楽な最後だった。(私も癌で死にたい・安楽死を選べるならなお良い)

『急性コーヒー中毒』闘病記。(その3)

 11月23日頃からは幻覚(幻視)が現れました。私はコーヒーを連用している時に、ほぼ1日じゅう音声編集ソフトで、LPレコードを音楽ファイルにしたり、むかし録画した音楽番組から音声を抜き出したり、さらにはスクラッチノイズを低減したりレベルをそろえたりしていました。
 幻覚(幻視)が起きる様になっても最初は夢だと思っていたのですが、最盛期には起きていても目を閉じるだけでパソコン画面が見えるのです。人生初めての幻覚(幻視)体験でしたので、ビックリするやら、あまりのリアルさに驚きました。(マウスを握って操作をしたくなるリアルさです)
 
 痛くて痛くて辛い寝返りが11月28日の朝にはできる様になりました。痛いのは痛いのですが、それでも1回のトライで四つんばいになれ途中で棄権する事はなくなりました。
 思えば、前日の27日はパソコン画面の幻覚(幻視)も夢も見ていませんでした。やっと峠を越えた思いがしました。
 それでも首は痛くて回せません。女房に声を掛けられると、自然と女房の方を見ようとするのですが、そのたびに「イデデ・イデデ」と口に出してしまいました。
 
 12月3日にはどうしてもチケットの解約に新宿まで行かなくてはなりません。首の動きは少し悪いのですが出かけました。(行きはよいよい帰りはこわい)ではありませんが、新宿までは来れましたが段々と首が痛くなってきました。
 帰りは交差点で左右を見るのが辛くなってしまったので、少し遠回りとなっても信号機のある交差点を渡る様にして帰ってきました。
 今日もまだ首と肩が痛みますが、マアマアこんなもんでしょう。
 
 ヤバイ体験でしたが、そのおかげでコーヒーは焙煎とコーヒーを挽いた粒度によって味が変わる事が判りました。また、焙煎の深さが違う豆を混ぜて淹れるコーヒーが美味いことも知りました。
 ちなみに今のコーヒー豆はすべてブラジル産で、焙煎は200秒がレギュラーのお店に無理を言って100秒・170秒・240秒の三種の焙煎をしていただいています。
 ただ、女房は240秒焙煎が一番コーヒーらしいと言います。私は、浅い焙煎に含まれる(カツヲの出汁)にも似た旨味が好きです。

『急性コーヒー中毒』闘病記。(その2)

 19日午後からの左肩の痛みが段々と首筋に向かって広がり、22日に目覚めた時は左肩から首筋の盆の窪まで頭が動くと筋肉の痛みだけではなく、頭痛も併発する様になりました。
 とにかく、体が動くと頭を支える首の筋肉痛と頭痛が襲ってきます。寝転ぶ最中も痛み、寝転んでから頭の位置が決まるまでに痛み、寝返りをしようとしても頭痛と筋肉痛の競演、痛みオンパレードに耐えなければなりませんでした。(起き上がる時は逆順番で痛みます)
 そして、ロボットが常にサーボモータで微調整をする様に、人間も筋肉で常に頭蓋骨を微調整しているのだと悟りました。(ロボットは痛みを感じなくていいな~)
 
 そしてもう一つ症状が出ました。夜中に体が妙に火照り、掛け布団を蹴飛ばしたり、腕や足を掛け布団の外に出したり、頭が熱をもって熟睡できなくなりました。体温を測ったら37,6度という微熱お爺さんでした。(微熱少女に比べると色っぽくね~ッ)
 それに加わったのが、首と頭の知覚過敏です。私は以前BB弾の枕をしているとブログに書きました。それは、ソバ殻枕より涼しくて気持ちがよいからです。ところが一転、知覚神経が過敏になった事で、1個1個のBB弾が頭に突き刺さる様に痛いのです。
 微熱による頭の冷却と、BB弾の突き刺さる痛みから逃げるために、22日の夜からは水枕を使いました。それでよい具合かというと、残念ながら排尿のために目が覚めるのですが、頭痛、筋肉痛ですんなりとは立ち上がれないのです。
 
 痛みの恐怖とは恐ろしいもので、掛け布団を外してクルリと体の向きを変えて立ち上がればよいだけの事なのに、掛け布団を外すまでは我慢できても、体の向きを変える時の痛みの記憶に恐れをなして体の向きを変えられない私なのです。
 体の向きを変えるのは、体の回転と首の回転が同期させられれば理論的には痛くないはずなのですが、そんな事は不可能です。痛みに怯えながら体を少し回転させ、そのたびに体と首のズレの激痛に耐えなければなりません。
 さらにその先。頭を枕から外して立ち上がるという事は、頭の重さのすべてが首の筋肉にかかるわけで、体を回転させる痛みも激痛なのに、立ち上がる時はそれに倍する痛みが襲ってくるわけで、その恐怖に私は耐えられず、自分のふがいなさに小便のたびに泣きました。本当に私は意気地なしです。
 
 知覚過敏は頭痛と筋肉痛だけではありませんでした。実は頭皮の毛穴も痛かったのです。頭が洗えませんし、ヘアブラッシングもできませんし、指で髪をかき上げる事もできませんでした。そんな知覚過敏と体のほてりから(この症状は絶対にカフェイン過剰摂取による『急性コーヒー中毒』だと確信しました)
 
 
 
肩こり、首こり。(出典はNHK(ためして)ガッテン!!)
 肩こりは主に背中の僧帽筋(そうぼうきん)という筋肉が凝り固まることで起きます。僧帽筋は肩甲骨まわりから肩、首まで広く覆っているので、こる部分も首まで含む広範囲です。一方で首こりを単独で引き起こす筋肉があります。後頭下筋群(こうとうかきんぐん)です。僧帽筋よりも奥深くにあって頭蓋骨と首の骨をつないでいます。この筋肉がパソコンやスマホを見る時などの姿勢の悪さや目の使いすぎなどで凝り固まり、首の動きを悪くしたり、不快感を招いて首こりの原因になるのです。後頭下筋群による首こりの症状は、頭痛(片頭痛含む)、首の後ろの上の部分の張りや痛み、首の回転や上下の動きが悪いなどです。