昭和レトロ=ボットン便所と寒い家。

  巷では『昭和レトロ』がそこそこ懐かしくも適当にはやっているらしい。しかも、平成生まれの若者までがそれにノリノリだというのが笑える。
  太平洋戦争末期に生まれた私からすれば滑稽にすら見えるが、それも多分『三丁目の夕日』あたりの影響なのだと思う。まあ、現代からすれば人情もあっただろうが、人情とは隣近所に生活が筒抜けという事なので、現代の若者が住んだら生活距離の近さに辟易するだろう。
  私が昭和48年に結婚して初めて住んだアパートは、各部屋に台所と水洗トイレはあったけど、どこかでSEXを始めるとすべての部屋でSEXが始まるほどに壁の薄い木造アパートだった。
 
  人情以上に困るのは、たぶんボットン便所だと思う。溜め式便所は溜めの中で糞尿が発酵するから、アンモニア臭など様々な臭いの混ざった悪臭を発散する。それが床下に漂っては生活に支障をきたすから、床下は風通しのよい造りとなっていた。ゆえに、冬は床下を寒風が通り抜けるので寒かった。
  いくら風通しのよい造りであっても、発酵に好条件の夏場の無風の時には開け放した窓から臭いが部屋の中に入ってくる。『エアコンかけて窓を閉めれば!!』と言われるかもしれないが、エアコンのあるお宅などまれだった。
  第一、その頃の安アパートは便所が共用という所もあり、便所掃除は当番制が普通だった。溜め式便所だから大量に水を使って便所掃除をすれば、その分はやく汲み取りを頼まなければならないので同じアパートの住人から苦情が出た。
 
  こまごまとした生活まで書こうと思ったが、一言でいえばオープンである事から様々なストレスはあった。しかし、生活の距離感が近いという事は、現代の様に知らぬがゆえの不安からトラブルがどんどん増幅して悲劇に達する事は少なかった。
  それに、生活レベルが同じくらいならば、心の中に(お互いさま)という気持ちが生じるものである。
  しかし、経済格差が大きなご近所様とはそうはいかない。(お互いさま)の気持ちは生活格差が少ない時にだけ生ずる感情なのではないだろうか。
 
  過去を懐かしむ映画として面白いのは、ウッディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』だと思う。パリはフランス革命前後を時代背景とした小説『ああ無情』の頃から下水道が整備されていた。生活インフラが昔も今もニアリーイコールならば、過去を懐かしむのもありかもしれない。だが、昭和30年代、40年代の東京は、現代人にはボットン便所だけでも厳しいぞ~!!。