武蔵野台地の農家。

 このあたりの昔の農家は、南側から見ると幅広の長い縁側越しに2つ部屋が並んでいた。そして大体は右側(東側)に土間があり、土間はカマドのある台所であり、土間の南側の入り口が玄関であり、北側の入り口は厠への出入り口であった。(昔、トイレは外に作られていた)
 土間からも2つ部屋が見える。すなわち、部屋は田の字形に造られていて、廊下は無かった。南側の縁側は部屋をつなぐ廊下ではなく、農作業の合間に軽くくつろぐ場所であり、縫い物など座り仕事の作業場所であった。
 江戸の台所を支える農村のこのあたりには無かったが、江戸市中の庶民の家は長屋が多く、落語などでも『九尺二間』と言われ、幅一間半で奥行二間の、今で言うワンルームみたいなものが沢山あったそうだ。
 
 田の字の家では部屋から部屋への移動が、部屋のふすまを開けて隣の部屋を通って移動するので不便であった。そこで考えられたのが、玄関から家の中に廊下を作った建て方であり、明治以降に考えられた建て方らしい。
 田の字の土間が玄関に変わり、玄関から続く内廊下(なかろうか)の左右に部屋を配置する事で部屋の移動を便利にした。大概が、内廊下の南側に部屋を造り、北側に台所や風呂場や便所が配置された。
 
 先ほど、九尺二間の長屋は現在のワンルームに似ていると書いたが、内廊下の家は現在のマンションの造りに似ている。
 現在のマンションも玄関に内廊下がつながり、その左右に部屋が配置され、突き当りが南側のリビングとキッチンと和室というのが多い。ただ、この構造により現在のマンションの風通しはあまり良くないし、建築会社による個性も薄く似たり寄ったりになってしまった。
 エアコンが普及していなかった頃の集合住宅は風通しが良く造られていた。ゆえに間取りの変化が多く、その良し悪しを間取り図から判断するのは面白いけど難しかった。
 私が5階建ての5階の西端の部屋に住んだ時に学んだのは、西端の部屋は西日でものすごく暑くなる事と、屋根も熱くなるので真夏はオーブンの中に住んでいる様なものだという事である。それでも風通しが良ければ真夜中頃までには室内も外気温くらいにはなった。
 
 現代の奥行の長い内廊下のマンションには住んだ事がないのでなんとも言えないが、東日本大震災計画停電の時のブログには、エアコンが使えないので暑さ対策に悩んだ方々が色々と書いていた。風通しの悪さから、かなり暑かったのだろうと思う。
 明日、3月11日は東日本大震災から。2年になるのに、復興は遅々として進んでいない気がする。原発の事故処理などまるで停滞している様に見える。民主党が震災対策でつまずき自民党に政権が移ったが、すみやかな震災対応は今後も期待できない気がする。