法の精神は『弱者救済』

 大企業の合理化策の多くが『下請け泣かせである事が多い』と昨日のブログに書いたが、倫理的には恥ずべき行為である。それは、それが強者の理論だからだ。
 実社会というのは強者に有利にできている。それは群れて生きる動物の本質的生存原則なのだが、知恵ある人間が他の動物と違うのは弱者救済の考えを持っている事である。
 とはいえ歴史の中でも、社会的な法律には弱者救済の考えが時代と共に徐々に取り入れられてきたのであり、欲と道連れの経済的な分野では、自由競争で勝ちに残るために下請け(弱者)の事など考えない。
 
 だが、法律にも時として弱者救済の及ばないものがある。それは軍隊についての法で、徴兵制であれ志願制であれ軍隊は弱者に厳しいのである。
 戦前は士官学校という軍学校があり、現代日本にも防衛大学がある。ここを卒業すれば武官であり、もし戦前の様な徴兵制が復活すれば防衛大学への志願者は増加するだろう。士官になる事は軍隊での生存に有利なのだ。
 そうなると戦前の様に血筋などで防衛大学入学に利便が図られるのは当然である。親が軍人であればその子供の入学には有利に働く。そして、教育弱者には兵隊の道しか残されない事になる。
 
 私は弱者救済の理念の無い『憲法改正』と、強い日本の再生と言いながら弱者迫害の『再軍備』を画策する人物と政党には絶対に投票しない。
 軍隊復活を望む者には、人間のみが持つ弱者救済の考えなど無く、人間以下の生存原則で動く野獣なのだ。