他人の弱みを握る快感。

 昨日のブログ『郵便局のおかしな習慣』の中で戦前の特別高等警察の事を書いたが、人間の本性には『他人の弱みを握る事で快感を覚える』習性が備わっている。それは、多分、生存競争に有利だから備わった習性だろう。
 だから、今も人間は誰かの弱みを見つけると、誰かに話したくなってしまう。それは自己の優位性の確認行動なのだと思う。
 
 日本の警察も個人の弱点を集めるが、これを徹底して行ったのがFBIの初代長官フーバーである。最近、テレビでもそんな番組があったみたいだが私は見そびれてしまった。(残念)
 私が聞いたり読んだりした範囲では、議員や大統領の身辺も調べ、家庭から出るゴミまで調べさせたと言う。ゴミで出される薬の袋でどんな持病を持っているかが判り、尾行や張り込みでその議員の性癖までも判ってしまう。ゆえに、フーバーは影の大統領とまで言われ、50年近くも長官を務めた。
 
 しかし、考えてみると、FBIは州境を越える広域犯罪に対処するために設立されたのだが、それによりFBI設立に賛成した議員までもが怯えようとは誰も考えなかっただろう。
 広域犯罪への対処で法律を作り、その法の裏面で苦しむ。それが法律の怖さであり、法律が持つ2面性である。
 
 なによりかにより、他人の弱みを握る快感が人に備わった習性であるならば、警察などでその仕事に従事すれば、最初は嫌な仕事だと思っていても『職業は人を作る』の言葉通りに、そんな仕事に生きがいを感じ仕事のやり方に長じてしまうし、罪悪感は薄れてしまう。
 我が家の近くにも警察OBが住んでいて、なんやかんやとオセッカイをする。尚且つ、その根本に不正を裁くという自己中の意識があるので、このあたりの住民は困り果てている。(ボケて自己中がひどくなったらどうなるんだ・戦々恐々だ~)