匂いガラスという宝物。

 子供の頃の宝物の1つに『匂いガラス』というのがありました。ガラスみたいな破片なのですが、石にこすり付けるとそれが匂うのです。匂いガラスは今でいうプラスチックで、墜落したB-29の窓の破片が子供達の手により匂いガラスとして宝物の換えっこにより広がりました。
 ゆえに子供の宝の中では匂いガラスのランクは高く、煤けた匂いガラスでもメンコでは交換してもらえず、ベーゴマ10個とか金輪の付いた喧嘩ゴマ2個とかで仲の良い友だちにしか分けてもらえませんでした。
 
 中学生になり30cmのプラスチック物差しを買い、宝物だった匂いガラスがプラスチックであった事を知りました。後年、フォルクスワーゲン・ビートルの水平対向空冷エンジンを使った小型飛行機の作り方を本で読んだ時、操縦室の丸い風防を厚手の透明プラスチックを暖めて型に押し当て、冷めないうちに手で成型するやり方を知りました。
 平らなガラスを切ってジュラルミンで挟んでリベット留めして風防を作るよりも、匂いガラスで曲面を作る方が工作精度も上がり、工作時間も短縮できたのだと思いました。でも、防弾性能はどうだったのでしょう。多分、ガラスよりは低かったのでしょうが、過給装置の付いたエンジンと、与圧機能と消火設備をそなえ、高射砲弾すらとどかぬ成層圏を飛べるB-29を襲える戦闘機はそう多くはありませんでした。
 
 それではなぜB-29の風防の匂いガラスが子供達の宝物になったのでしょう。それは相次ぐ米軍の本土攻撃により制空権が失われていたからであり、東京大空襲の時にはB-29の操縦士すら下界の熱を感じ、人間の髪の焼ける匂いを嗅いだというほどに低空を飛び、まぐれ当たりの高射砲に当たって墜落したのでしょう。
 墜落して死んだ乗組員も生きていた乗組員も、そのほとんどは軍や警察が来る前に市民が竹槍などで刺し殺し、見せしめに晒されたと聞きました。ヒョットすると、煤けた匂いガラスには血も付いていたかもしれませんが、宝物として子供の手を介するうちに血は消えうせてしまったのだと思います。