大先輩から聞いた焼酎の作り方。

  太平洋戦争(第二次世界大戦)の時、本土防衛のために南海のサンゴ礁に通信兵として行かされた大先輩から聞いた話です。
 
  サンゴ礁ですから高い山など無く椰子やバナナの生えた平たい島だったそうで、無線小屋や高射砲のトーチカは大きなサンゴを積み上げて造られていたそうです。
  ところがある時、沖合いにアメリカの軍艦が現れ艦砲射撃を始めたそうです。ところが、なかなか砲弾は命中しないので気楽に眺めていたのですが、上空に戦闘機が現れ旋回を始めたら命中率が上がってうかうかしていられなくなったそうです。
  高射砲で上空を旋回する戦闘機を撃とうとしましたが、高射砲は基本的に爆撃目標に直進してくる爆撃機の直前で砲弾を破裂させ、その破片で爆撃機の搭乗員を殺傷する兵器ですから、上空を旋回する小さな戦闘機に当てるのは不可能に近いのです。
  そのうち、2~3秒ごとに着弾する副砲でトーチカ内の兵隊は足止めされ、数分に1発の主砲でトーチカを吹き飛ばす壊滅のための砲撃が始まったそうです。
 
  島の端から端まで、すべての建物とトーチカ。はては椰子やバナナまで砲撃で吹き飛ばしてアメリカの軍艦は去って行ったそうです。そして、その艦砲射撃で島の兵隊の1/3が死んだそうです。
  隊長は指令小屋への砲撃で死に、兵糧小屋も吹き飛ばされて、艦砲射撃の地獄から解放されたそうですが、その瞬間から餓えの地獄が始まったそうです。
  サンゴ礁の小島ですから魚などを採る事はできたのですが、充分な量にはなりません。そこで、艦砲射撃で倒れた椰子の木でイカダを作り、隣のサンゴ礁に椰子の実を取りに行ったそうです。
 
  そのうち、椰子の花が開く前に花をバナナの葉っぱで包み、先っぽをナイフで切って瓶にその先を突っ込んでおいて蜜を採ったそうです。
  ところが、蜜をそのまま飲むのは甘すぎて飽きてしまったといいます。飲み飽きた蜜をほうっておいたら自然発酵して甘い酒になりましたが、甘い酒も長続きしないそうです。
  そこで、高射砲で以前撃墜した敵機の残骸から銅パイプを外してきて、椰子の蜜酒から焼酎を蒸留したそうです。
 
  でも、どんな事をしても食料の絶対量は足らず、艦砲射撃で死んだのと同じくらいの兵隊が飢えで死んだそうです。兵隊の中には『明日、俺は死ぬ。もうケツの穴が締まらない』と言い、翌朝には死んでいたそうです。結局、生き残ったのは1/3の兵隊だけだったと聞かされました。
  その先輩は丹沢の近くに住んでいましたので、休みの日にはよく丹沢を歩いていました。冬に雪の積もった丹沢を歩くと、時に鹿が後をつけてきたといいます。その先輩は(戦友の生まれ変わりかもしれない)と、後をつけてくる鹿をいとおしく感じて追い払う事はしなかったそうです。