『急性コーヒー中毒』で学んだ事。

 人間は痛みに恐怖を感じるという事実と、処方箋で入手できる鎮痛消炎剤の効かない痛みがあるという事。
 
 今回の『急性コーヒー中毒』は肩から首にかけての筋肉が動くと激痛がはしる症状だったので、動かずに仰向けに寝ていれば痛みはほとんど感じなで寝ていられる。とはいえ、仰向けででいつまでも寝られるわけもなく寝返りをうちたくなる。
 寝返りをうちたくて腕を動かすと、わずかの首の筋肉も動くらしくて激痛がはしる。とにかく、動かせばおそってくる筋肉痛の恐怖に頭を動かす事ができなかった。
 私は持病の痛風があるので、鎮痛消炎剤の『ボルタレン』を持っている。そこで『ボルタレン』を呑んでみたが、筋肉が動く時だけに発生する痛みを抑える事ができなかった。
 
 それから、他人の手助けに頼っても『急性コーヒー中毒』の痛みは軽減しないという事実である。実は1回だけ女房に寝返りを手伝ってもらったが、外力によって首が動いても痛くて痛くてしょうがなく、手助けを断った。まあ、言い方を変えると女房に痛くされている様な気持ちにさへなるのであった。(女房にすれば『厄介な病人』である)
 更に私は思う。この様な持病のある老人は、老人ホームでのヘルパーの手助けが、ヒョットして痛みを引きおこすとしたら、介護される老人はワガママな手のかかる老人としてしか認識されないだろう。これは介護される者と介護する者どちらにとっても不幸な事である。
 
 そして思い出した。お袋が「手をひいてもらっても、ちっとも楽じゃあない」と言った事があった。
 お袋は「私も若い時には年寄りの手をとって歩いた事があるけど、いまお前に手をひかれても辛いだけだ」そして更に「片手でなくお前が後ろ向きになって、子供を歩かせる時の様に両手を一定の高さにしてくれる方が楽だ」と言った。
 その言葉を聞いて私は思った。片手をひいても歩けば体のバランスがくずれるので、その都度さまざまな筋肉を使ってバランスをとるのに疲れるのだろう。
 そして家の中での移動は赤ちゃん方式の様に、お袋から私の手を握らせる様にした。お袋が足を動かすたびに私の左右の手の片方に加重がかかる。支える手の高さを変えない様に腕の力を加減する。赤ちゃんならともかく、50Kgにも満たないお袋の体重でもかなりくたびれた。
 当然ながら、お袋が一番楽な支え方であっても、このやり方では外出はままならない。お袋が老衰で死んだのなら、私は介護疲れになってしまったと思う。お袋の最後は癌による病死だったので、モルヒネにより眠りっぱなしで死んだ。
 脳溢血で4年半。徘徊やら寝たきりやらの介護の末に死んだ親父よりも、家族にとっては楽な最後だった。(私も癌で死にたい・安楽死を選べるならなお良い)