ぶっちゃけ。年寄りは『二度わらし』

  ぶっちゃけシリーズ第8弾で~す。第7弾でお袋の事を書いてしまったから、今度は自分の事を書かなきゃあしょうがない。書きますよ、書けばいいんでしょう。
 
  私が27歳で女房が22歳。伯父貴の仲立ちで見合いをし、半年後に結婚しました。でも最初から結婚生活が上手くいったわけではありません。
  まあ、最初の勢力争いというか、習慣のすり合わせというか、些細な事でも突っかかりがありました。些細な事でもめるくらいだと、より大きな事で喧嘩にでもなったらどうにもならんと思い、妊娠する前に離婚しようかとも考えました。
  それでも、何が原因で行き違いが起きるのか考えました。結局は、育ってきた環境の差というか、実家のやり方の違いがギクシャクの元だと気づきました。ようするに、実家の生活がそれぞれの常識だったのです。
 
  女房は漁師の家庭に育ち、私はサラリーマンの家庭に育ちました。漁師の21時は真夜中ですが、サラリーマンのその時間は子供を寝かしつけた後の夫婦の時間です。漁師の3時は朝ですが、サラリーマンの3時は熟睡時間です。
  漁師は朝が早いですから、寝室は真っ暗にして短時間で休まなければなりませんが、私の家では薄明かりを点けて寝ていました。
  女房は21時になるともう寝ぼけ眼で、寝る前のトイレに行く時によろけて柱にぶつかる様な、私から見れば幼児みたいなところがありました。
  新婚当初、朝の4時に揺り動かされて『朝ご飯ができたから起きてください』と言われる辛さ。まだ始発電車だって動いてない時間です。でも女房にとっては、ギリギリまで我慢して作った遅い朝飯だったのです。
  それと、買い物に行っても魚を買う事ができませんでした。みんな生きの悪い魚で買う事ができなかったのです。私は干物が好きでしたから、夕食にアジの干物を頼み、アジの干物は焼いてくれてあったのですが、女房は『なんか臭い』と食べませんでした。
 
  そんな異星人同士みたいな2人だったのが、共に生きていくために力を合わせて子育てや育児、進学等の苦労を乗り越えてきました。私達はよく相談する夫婦でしたからお互いに相手の困る事はやりませんでした。
  たった一つ決めた約束は『お互いの実家のやり方に文句を言わない』という取り決めでした。相手の実家のやり方に目くじらを立てるという事は、時にお互いの育ちを否定する事にもなりますので、この取り決めは功を奏しました。
 
  ところが、最近はこれが崩れ始めました。歳をとったらお里が知れるとでも言うんでしょうか、若い頃から体に染みついた習慣がまた表面に出てきてしまったのです。
  漁師は、海に出れば大漁とかシケとうい日々の変化はあっても、新鮮な魚が手に入り市場におろした残りの雑魚はご近所さんに配ってしまいます。まあ、気前がよく見える性分が自然と身につきます。
  私の母の実家は海岸から30Kmくらい離れた百姓どころです。農家は、耕して種をまいて雑草を抜いて虫をとって。それでも雨風などで収穫ができないという事もあるのです。結果が出るのに長い時間がかかりますから、農家は漁師の様な気前よさではなく、計画的で堅実なケチに見える性分が身につきます。
 
  料理についてもそんな違いが現れます。漁師は夕食には刺身を作り、明日の朝食のために魚を煮る。鍋に煮えた食料が入っているのは一晩で、夕食までには食器類は次の料理をするために空いた状態なのです。
  農家は間引きした小さな大根などを浅漬けにしたり、カツオの切り身と里芋などを煮たら、それを煮返して3~4日も同じ物を食べます。
  私は煮物が鍋の中にあるのが好きですが、女房は煮物は鍋から器に移して鍋は洗うというのが当たり前で、鍋の空かない事にイライラします。
 
  先日は牛のすね肉が安く手に入ったので、私が牛の角煮を作ろうと一口サイズに切って柔らかく煮ました。火を止めて一晩寝かせて翌日角煮を完成させようと思っていたら、女房が「角煮の汁が残っているから使わせて」と言って、角煮を鍋からすべて皿に移して角煮の汁でシラタキを煮始めました。
  私は(まあ角煮はほぼ完成だからいいだろう)と何も言いませんでした。そして、女房が「出来上がったよ~。いい味だよ~」と言うので見に行きました。
  鍋の中には煮えたシラタキと角煮が同居していました。私は愕然としました。牛の角煮で数日は楽しめるだろうと思っていたのが、今は鍋の中で出来損ないの牛丼状態になってしまったのです。
 
  そして、翌日の朝食と昼食で、鍋の中の出来損ないの牛丼は空になり、女房は鍋を洗ってすがすがしい顔をしていました。角煮でビールでもと思っていた私の思惑は完全に外れてしまいました。
  私の頭の中には、鍋には根菜類などをつぎ足しながら何日も煮返した煮物があり、時間とともに味が複雑になっていく鍋料理とか、少し味の濃い煮物を何日も食べるという食生活のパターンがあるのですが『台所は女の聖域』で、私の思惑など通用せず、鍋は常に磨き上げられてしまいます。
  それが女房の幼少期からの生活パターンなのです。私の、囲炉裏の上には手鍋が下がり、煮物が腐らない様にじっくりと火がとおっているという生活パターンや、佃煮や干物などは望むべくもありません。
  囲炉裏は造れませんから、小さな手あぶりに炭を1~2個入れて、うるめ鰯を炙って、湯飲み茶碗で焼酎を飲むなんてえ事もできません。せいぜい年末年始にビーフジャーキーでワイルドターキーをカポッと飲むのが今の贅沢です。(もう少しでその時期になります・うふふ)