変わらない。変えられない。

 3連休に茂りすぎて屋根より高くなった白樺の枝をどこから切ろうかと思案して見上げていたら『何してるんだ』とゴミ出し?の長兄が声をかけてきた。「枝が屋根を越えると大きく揺れるから切ろうと思って考えている」と答えしばらく白樺談義をした。(長兄の所にも白樺がある)
 
 長兄は中学教師の後に教育委員会へ行き、毎日が日曜日になってからそろそろ10年くらいのOBである。まあ、白樺談義が一段落したので、それとなく大津市のイジメ自殺の話を切り出してみた。
 元教師で、元教育委員会だからといっても、私のイジメ3部作を正面から聞くために自宅までお邪魔はできない。なにしろ長兄には筋金入りの共産党かぶれの嫁がいる。若い頃から幼児教育にたずさわり、資本主義国家に国民年金を納付するのは反共産主義的として小さな所で努力していたので、長兄は年金を貰っているが兄嫁は貰えないでいる。時にそれを愚痴るのは反共産主義的だと思うのだが『本来ならば共産主義革命で私も年金を貰っていたはず』とのたまう。
 そんな長兄の家に正面切ってイジメ3部作の話をしに行けばぶち壊しになるのは明白だし、長兄も心の内を話す事もないので、どこかですれ違う様な幸運は無いかと願っていた。幸運は来たものの話の内容は義務教育の改善を望めるものではなかった。
 
 長年中学校教師を務めて現場を知り尽くしたからといっても、教育委員会に行けば教育委員会はプロパーの職員により組織が固まっていて、受け入れられた老教師は臨時雇いか、良くてもオブザーバー程度で議決権は無いも同様であったと愚痴られた。
 また、学校は教育委員会の下に教育を行うので、何事も教育委員会の顔色を伺い、教育委員会の指導の下に学校運営をしなければならないとも愚痴られた。
 一番肝心な教育改革の事を聞くと『現在の文科省教育委員会、学校の関係においては自浄作用など望めない。文科省が変わるか、お前の言う様に世論の外圧でも無いと変われない』と吐き捨てて帰ってしまった。
 ヤッパシな!!。せめて『こうすれば出来るかもしれない』との話を期待していたのだが、トホホの結果であった。マッ、昔から長兄と私はこんなものであったし、長兄には子供の頃から『自分で考えろ』と言われた。だが、それは長兄にもアイディアの無い時の常套句であったのに気づいたのは私もいい大人になってからだった。
 
 昔、熱弁を振るっていた教育論は過去の思い出となり、その理念も実行できずに年老いた長兄であった。
(OBのOはOLDでなくOUTだと気づいた内蔵助です・ン?ゴルフと同じ?)