山の鬼。(後編)

  老婆の遺骸は戸板に乗せられて奉行所に運び込まれ中庭に置かれた。お奉行までが庭ぞうりを履き老婆の手をとって『わしが無理を頼まず、村で暮らしていればこんな事にはならなかったろうに。許してくれ。』と涙を流した。
  検死の結果は僧の言うとおり、首が定まらぬほどに骨が砕けていた。そこへくだんの僧が引き立てられてきて老婆の遺骸を見せられた。
  『これがご坊殿が打ちたる山姥に相違ござらぬか。とくと検分めされい。』と役人が僧の背中を押すと首縄が喉に食い込み、僧はむせながら老婆の遺骸を見た。「着ている物は違うが、顔に間違いはござらぬ。嫌疑が晴れたならばいましめを解いてくだされ。」と奉行に懇願した。しかし、奉行は『捕縛を解く事は無い。このまま牢にうち入れよ。』と役人に命じた。僧は弁明しようとしたが、役人に捕縄を引っ張られて喉が絞まり、苦しげにむせながら牢に引かれていった。
  奉行は年かさの役人に『明日はお城に向かうが、2、3日は戻れぬかもしれぬ。その間、あの坊主の縄も解かず、食事も与えるでない。手水桶に水を入れて牢内に置く以外は何があろうとも捨て置け。たとえ死んでもそれはしかたがないと考えよ。』と言って部屋に戻った。
  奉行の推測したとおり、奉行が戻ったのは3日目の昼ごろであった。
  直ちに僧が牢より引き出され、捕縄は緩められたものの裏の石畳に座らされると、数人の役人から桶に何杯もの冷水を浴びせられ、僧衣も体も濡れ鼠のごとくになり、更に僧衣も剥がされ褌も解かれて素っ裸となった身にさらに冷水が浴びせられた。
  死ぬかもしれぬと心を定めたころに捕縄がすべて解かれ、後ろ手に縛られていた腕は自由になったが、すぐには動かせぬほど腕は感覚を失っていた。そして捕縄の代わりに腰縄が巻かれると手拭を渡され体を拭くように命じられた。
  後ろ手に縛られたまま牢に入れられていたので垂れ流した糞尿の臭いは冷水を浴びせられて消えたが、食事も与えられずに捨て置かれ、あげくに気が遠くなるまで冷水を浴びせられたので気力も失われていた。それでも体を拭いた後には新しい褌を渡され、白の一重もあてがわれ、3日ぶりの食事も与えられてから裁きの場に引き出された。
 
  奉行はまず『ご坊殿。まずお名前を伺いたい。』と慇懃に切り出した。僧が「拙僧は真言宗 ・ ・ ・ 。」と言い出すと、『ご坊殿。法名でなく俗名を伺いたい。』とまたも慇懃に尋ねた。僧は法名でなく俗名を言う恥ずかしさにうつむき「ちょうじ」と応えた。
  それを聞いた奉行は『それでは、これからはご坊を罪人の長治と呼ぶ。よいな。』それを聞いた僧は「お奉行。解せぬ事ばかりです。私の打ち殺したるは、人をとって食らう山姥のはず。なぜに罪人なのか。」
  間髪を置かず『黙れ長治。お前が打ち殺したるは山守の婆にして山姥にあらず。検死の時にお前も見たであろう。死体を拭き清め、着物も着せ替えてあったであろうが。』僧は「いかにも」と小声で答える事しかできなかった。
  『あれを見ればいかに山守の婆が村人に慕われていたか判るであろう。山姥と思い込んだは、長治お前であり、あまつさへ打ち殺したるは逃れなきお前の罪だ。ゆえに、お前は人殺しの罪で裁かれる。』と告げた。
  僧は納得できずに聞き返した。それにはお奉行の脇に控えた年かさの役人が、茶店の亭主が旅人に語り聞かせたのと同じ様な話をしてやり、聞き終えた僧はガックリと肩を落として悔悟の涙を浮かべた。
  そして奉行が下したお仕置きは前例のないものであり、奉行みずからが刑を執り行った。
  まずは罪人を裸にして梯子にくくりつけ、真綿をつめた碗をへその上に膠で貼り付け、その周りに火薬を丸くならして火を点けたのである。長治は絶叫して気を失い、気づいたのは腹に晒しの包帯が巻かれて牢に寝かされた後であった。
  長治の腹の火傷の治癒と衰えた体力が癒えるにはほぼ半年かかり、季節は春になっていた。
  奉行も時折、長治を部屋に呼ぶとまずは腹の火傷の様子を見た。丸い火傷には火薬カスの炭が入り込み、まるで大きな手で平手打ちを食らった様な赤黒い傷跡になっていた。
  また、牢を出るきっかけとなったのは奉行の話からだった。『なあ長治、今年は3人が八丁平で凍え死んだ。一人は男で山の神の祠の前で死に、母娘の二人づれは山守の家の土間で凍えて死んだ。この二人は母が娘を抱き、まことに哀れで弔った者みんなが泣いた。多分、春の湿った雪に体が凍えて山守の家を見つけたものの、精根尽き果て動く事もままならず、火も起こせずに死んだのだろう。』長治も山守の婆を殺した事が三人もの命を奪ったと悟り、涙を流しながら「私が山守の婆を殺したるがゆえに三人もの人が死んだのだと自分を責めております。」と小声で応えた。
  すると奉行は『どうだ長治。お前、山守になって罪を償う気はないか。婆を殺した罪を人助けで償え。さすれば今日明日にも牢を出してやる。』それを聞いた長治は、はいつくばって山守になると奉行に誓った。
  その晩は、小者まで含めた役人全員が奉行所に集まり、長治には新しい着物が与えられた。長治はすべての役人と挨拶を交わし、酒は出なかったが夕食をそろって食べ、長治は正式に山守として奉行所に認められた。
  翌朝は茶屋の亭主が長治を奉行所まで迎えに来て、今度は茶店で村の主だった者たちと顔を通じ合い、昼飯を食った。そして、茶屋の亭主から米、味噌などが入れられた背負い籠と、今夜と明日の朝に食えと握り飯を渡されて八丁平へと登って行った。
 
  山守としての覚悟を決めて山にこもった長治だが、1人で山の中に住むというのは大変な事だった。幸いしたのは山住まいを春から始めたので、山野草が採れた事である。  それでも時に食い物に困り、ウサギを捕らえ様として罠を仕掛けたが、罠の場所が悪かったのか初めはなかなか上手くは獲れなかった。
  その上、村人からは『今の山守は、前の山守の婆さんを打ち殺した奴だ』とか『お代官様からキツイお仕置きを受けた』とか『腹にお仕置き傷がある』という悪い噂話をされ、たまに長治が山を降りると女子供は家に逃げ込み、小声で『鬼が下りてきた』とさげすむ声まで聞こえる気がした。
  山を降りるといっても、長治が許されているのは麓の茶屋までで、必要な物は茶屋の主人に頼んで揃える事になっている。
  とにかく最初の1年は長治自身が死ぬか生きるかの瀬戸際暮らしだったが、それでも秋に1人、冬に1人に宿を貸す事ができた。冬の旅人はわずかであったが心付けを置いていったので、長治の苦しい生活の助けとなった。
  春になり、麓の茶屋に下りると茶屋の亭主はホッとした顔で長治を迎えてくれたが、村人は相変わらず鬼を見る様な顔つきだった。
  茶屋の主人は長治に茶をすすめながら『よくもまあ冬が越せたもんだ。お前の事が心配だったので、いつも下りてきた旅人には八丁平の様子を聞いていたので生きている事は判っていたが。ところで体の具合は大丈夫か。』と顔を覗き込んだ。長治も「満足な事はできませんでしたが、秋と冬に2人を泊めました。山守の婆の様な夕餉を振舞えなかったのが残念でした。」長治は深いため息をつき「あの婆さんはえらい事を平気な顔でやっていたかと思うと。それを打ち殺した私の罪の深さをしみじみ感じた冬ごもりでした。」と涙ぐんで鼻をすすり上げた。
 
  その後、山に慣れた長治は手のすいた時に風車などのおもちゃを作り、村に下るたびに子供らにあげる様になり、自然と村人の口からさげすみや憎しみの声が遠のいていった。すると、翌年の春には村人が八丁平にも山菜を採りに上がって来る様になり、長治を見かければ声をかけていく様になった。長治も罪人ではなく山守として認められた様な気がして嬉しかった。
  山守の仕事はただ峠にいるだけではなく、山道の様子を見回って石を積んだり岩をどけたり、木々を見守りながら次の切り出しの木を下見するなど、やる事は沢山あった。それ以外にも自分の生活のために山野草を採り、木の実を集めるなど、やらなければ自分が飢え死する恐もあった。
  山を知るにしたがい長治の手仕事もだんだん変わり、倒木の切り出しを認められてからは仏像を刻む様になった。元々が仏道修行をした身なので、長治の仏像造りの腕はみるみる上達し、村人にありがたくもらわれていき、米や時には心づけを貰う事ができた。
  そんな生活が数年続くうちに村人も長治を山守として見る様になり、山守になってから8年目の酉年の大祭では、代官所の手助けも得てお殿様の接待も無事に済ます事ができた。
 
  大祭を無事に済ませてからは長治も山守として深く信頼される様になり、悪い陰口を言う村人もいなくなったので、長治の心はやっと安らぐ事ができた。そんな折、珍しく茶屋の亭主が背負い籠を背負って八丁平に上がってきた。
  土間に入ると背負い籠を下ろしたが、その籠には刀ほどの長さのある荷物が入っていた。
  籠の荷をいぶかしげに見ている長治に向かい『長治、お前もウサギやヤマドリを罠で獲るのは上手くなったみたいだが、鹿や猪は罠じゃあ手におえないだろう。』と聞かれたが、長治は茶屋の亭主の背負い籠の荷を気にしながら「猪がいく度かウサギの罠にかかった事はありましたが、坊主であった私には殺す事ができずに逃がしてやりました。」それを聞いた茶屋の亭主は背負い籠から長い荷物を引っ張り出して包みをほどいた。包みから出てきたのは鉄砲だった。
  『長治、あの時から8年が過ぎた。という事は僧籍を外され還俗してからも8年だ。立派に大祭もつとめ終えた。だから、私がお代官様に鉄砲を持たせてくれとお願いした。これからはお前も猪を獲れ。』
  「還俗して8年とはいえ、やはり私には四足は殺せません。」と長治が言うと、茶屋の亭主は大声で笑い『ウサギも四足だろう。味が鳥に似ているから1羽2羽と鳥として数えるが四足は四足だ。それと、お前もあの婆の味噌漬けの猪肉を食っただろう。あれも四足ではない。山鯨という言い方くらい知っているだろうが、ここではあれを薬食いという。それに、あの猪は婆が獲ったものだ。なおかつ、お殿様にも薬としてお届けしていたのだ。』それを聞いた長治は驚いてのけぞり、後ろに手をついて体を支えた。
  茶屋の亭主はその晩は峠に泊まり、長治に鉄砲と火薬の扱いなどを教えて帰っていった。こうして長治に薬食いという新たな仕事が加わったが、やはり猪や鹿を撃つ事はできなかった。しかし、ウサギの罠に誤って猪がかかり暴れまわっても罠が切れずに、後ろ足がブラブラになりながらも長治に突きかかろうとした事があった。長治も、今はこの猪に引導を渡す事こそ自分の定めと鉄砲を構えた。
  すると、火縄の匂いを探る様に手負いの猪が体の向きを横に変えた。猪に近かったので長治の下手な腕でも、銃弾は1発で猪の心臓を貫いた。長治は鉄砲を取り落とす様に脇に置くと猪に頭を下げ、その後、経を唱えた。
  猪は若い雌だったので、長治は一人で八丁平の南側の石祠の脇の黒松に猪の頭を下にして高く吊り下げた。こうしておけば茶屋の亭主が来るまでに山犬に食われる心配はない。猪を高く吊るし終わると八丁平の東はしに行き、村に向かって空砲を5発撃った。ひと時半ほどで茶屋の亭主と数人が八丁平に上がってきた。
  息を切らせながら『何か獲物が獲れたのか。』「はい。罠で足を傷めた雌の猪を撃ちました。教えていただいた様に石祠の所に吊るしてあります。」と答えながら一同は石祠に向かった。
  茶屋の亭主は『ああ、これはまだ若い雌だな。だから罠から逃げられなかったのだろう。小さな獲物とはいえよく一人でここまで高く吊り上げたものだ。』と感心した。そして先頭に立って一同で猪を解体し、肉を切り分け塩を擦りこんだ。
  解体が終わると一同は長治の住む八丁平の家に行き、今夜は不浄落しとして内蔵などの腐りやすい物を煮たり焼いたりして酒盛りとなった。翌朝は一同で肉を入れない山野草の粥を食べ、塩を擦りこんだ肉の半分を茶屋の亭主たちが持ち帰る事にし、残りは長治が肉の味噌漬けにして、出来上がったらその半分は茶屋の亭主の所に持っていく手はずで一同は山を下っていった。
  猪肉の味噌漬けが漬け上がると、長治は肉のすべてを茶屋に届け「私にはやはり四足は食べる事ができません。」と茶屋の亭主に言うと『お前が食わなくてもいい。冬に誰かを助けた時にはどうするんだ。』と言われ、長治は思慮の足りなさに顔をうつむけた。『まあ、持ってきたものは仕方がないし、まだ雪までには日がありそうだから、あと1頭くらいは獲れるだろう。仏心はまず人間に示せ。猪も鹿も山神様からの授かり物と思え。』と諭されて帰された。
 
  老婆殺しのお仕置きを受け、還俗して山守となり鉄砲まで許されたものの、仏道修行をしたからには四足は殺すまいと避けていた長治だが、いたしかたのない中で心ならずも猪を殺した事を悔いていた。
  しかし、19歳の自分は考え違いから罪も無き老婆を打ち殺した。さらにそのせいで、冬には三人の旅人が死んだと思うと後悔の念は更に深まり、山を上る足はいっそう重くなった。
  八丁平に帰り着いても胸がつかえて物を食う気にならず、寝ようとしてもなかなか寝つけなかった。すると、御仏が現れ(猪が横を向いたであろう。あれは私だ。これからも私はあの様にして現れる。躊躇せずに撃ち獲れ。)と告げて消えた。長治は慌てて正座し、一心不乱に夜が明けるまで経を唱え続けた。
  長治が正気に戻ったのは八丁平が夕焼けに燃える頃であった。布団の上に突っ伏した姿で正気に戻ったのだが、御仏のお言葉が夢であったのかうつつであったのかも定かではなく、正座して経をあげて朝を迎えたのは判っていたが、我が身も透き通るほどの光を感じたのはいつで、いつ気を失ったかは覚えていなかった。
  正気に戻った今、心のわだかまりはすべて消え、自分の生涯は四人の菩提を弔い、多くの人を助ける事との思いが高まっていた。そして、御仏のみしるしで現れる四足は苦しませぬ様に1発で仕留める事も心に誓った。
  その後、長治の前には至近距離に猪や鹿が現れ、しかも、最初の猪の時の様に火縄の匂いを気にしてか、長治に左側を見せて横を向くので長治でも仕損じる事はなかった。その反面、長治の鉄砲の腕は一向に上手くならなかった。
  ある時、茶屋の亭主が『お前はいつも左側から心臓を撃ち抜いているな。』とそれに気づいた。長治はその夜の不浄落しで自分に起こった不思議な出来事の仔細を皆に話した。一同は不思議な話に驚き、話を聞き終わってからは酒のつまみとして食っていた肉を伏し仰ぐ様にしてから食べた。
  長治の不思議な話はいつしか噂として広がり、お殿様の耳にまで入った。それまでは誰も知らぬ国はずれの村が、その噂のおかげで誰知らぬ村となり、村人は大喜びした。しかし、お殿様をふくめたお城の上役と、村の代官は八丁平が有名になった事に眉をひそめていた。
  お上の一部の人の心の底など知らぬ長治には、八丁平こそが私の住む所と安堵の気持ちが広がるとともに、この八丁平は御仏に見守られていると幸せな気持ちになれた。