偶像崇拝を禁じるイスラム教。

 イスラム教は偶像崇拝を禁止している。描くにせよ形づくるにせよ具体的なイメージが人間の心を支配する事があるのは事実である。子供の頃に読んだ親父の蔵書の滑稽本の中にそんな話があった。
 
 明治以降の紙幣に印刷された歴史上の伝説的人物『武内宿禰』が話しの元ネタで、主人公は紙幣の武内宿禰にそっくりな金持ちだった。
 また、主人公の自宅は庭も美しく、とりわけ桜の季節の見事さは近所でも評判になっていた。そこに紙幣の武内宿禰にそっくりな人がいるので、遠くからわざわざ見に来る人まで出る様になった。
 
 そんな噂は自然と主人公の耳にもとどき、主人公は紙幣の衣装に似せた着物を着る様になった。それが、また噂となり見物人は増える一方であった。
 その噂がますます主人公を勢いずかせ、家人の立ち居振る舞いにまで及ぶ様になり、家長のいう事なので家人も嫌々ながら従い、家の中がギクシャクしてくる。
 
 それらの矛盾に耐えかねた息子が、すべての桜の木にの根元に鰹節の杭を打ち込むという枯れる細工をして家を出てしまう。
 しかし、主人公の行動は変わらず植木屋に新しく桜を植えさせ『数年後にはまた見事な桜が咲くだろう』というが、物語は主人公の寿命が長くない事を予感させて話が終わる。
 
 偶像崇拝を禁じるのは、あるいは良い選択なのかもしれない。人間は似ているだけで偶像と自分を重ねる事がある。
 神を表現した絵で自分と神を重ね合わせたり、頂点にいる神と権力者が、あたかも自分は神と同一、あるいは神の代理人として人々を支配したりする。
(じゃあ悪魔に似たやつはどうなるんだ!!)