宗教は反論を許さない。

 キリストは堕落したユダヤ教のラビ達に愛想をつかした。仏陀も自ら悟りを得た。宗教内部で新しい考え方をすると摩擦が起きる。日蓮においても、人生前半の迫害と人生後半の宗派保全は実社会の組織の法則にピタリと当てはまる。
 
 宗派の中で異議をとなえれば異端とみなされ、異端審問にかけられ、追放されるか悪魔として殺されてしまう。
 『日本人とユダヤ人』の中には「共産主義国で資本主義をとなえれば生きてゆけない。資本主義国で共産主義をとなえるのも同様である」という様な事が書かれている。(いま日本人とユダヤ人が家の中で行方不明で正確に写せません)
 すなわち、どの様な設立主意の組織であれ、人が群れて組織の形が整うと、そこには組織の法則が成立してしまう。ゆえに、時に組織が設立主意と異なる発展をしてしまう事がある。(特に宗教組織には失望するものが多い)
 
 それでは宗教の良さとは何なのだろうか。それは、発展途上の理想に燃えた時期である。どの様な宗教にも共通するのは、人間の生き方を追求する事である。それを求めて苦悩し、修行研鑽する姿は神々しく見える。
 歳をとると考え方は変わり、生き方も姑息に上手くなる。たとえ『あいつは生き方が下手でいまだに青臭い』と言われようとも、私はより良い生き方を探る人間でありたい。