『国と国家』そして『民族と部族』

 国と国家はどう違うのか。
 多くの場合、国と国家は同一の言葉として使われる事が多いのですが、本質的には違う事象を表現しています。しかし、ナショナリズムを高揚させる時には意図的にこの言葉を混用して言葉の意味を攪乱します。多くの場合、その行き着く先は戦争です。
『国』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:天や海に対して大地。土地。陸地。
 2:1つの区域をなした土地の称。
 3:国家。国土。地球上の各政府の統治権下にある土地。
『国家』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:一定の地域に住む人々を支配、統治する組織。
 2:特に近代、一定の領土を有し、そこに居住する人々で構成され、一つの統治組織をもつ団体。基本条件として、国民・領土・統治権の三要素を必要とする。
 
 一番重要なのは、国=国家ではないという事です。
 多分、日本人の100%は日本という国を愛していると思います。だからといって、それは日本という国家を愛しているわけではありません。
 しかし、戦争に向かう道程の途中では国と国家の相違点を言葉巧みに誤魔化したり、『非国民』などという呪文を駆使してナショナリズムを高揚させます。
 たとえ、国が素晴らしいからといって、その国の国家が立派だという事にはならないのです。
 
 
 民族と部族はどう違うのか。
 日本では民族という言葉をあまり使いませんし、部族という言葉など日常会話には出てきません。それでも、国民と民族については意図的にこの言葉を混用して言葉の意味を混同させます。そして、この言葉の行き着く先も『国と国家』と同様に戦争です。
『民族』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:同じ文化を共有し生活様式を同じくする人間集団。
 2:起源、文化、伝統、歴史を共にすると信ずる事から強い連帯感を持つ。
『部族』を国語辞典で引くと以下の様に書いてあります。
 1:一定の地域に住み共通の言語、宗教のもとに統治されている共同体。
 
 ここで重要なのは日本国民と日本民族は違うという事です。日本国民とはその時代の国家に支配された日本領土内の人々であり、本質的な日本民族は国家の支配が無くなっても日本民族。すなわち、それこそが本当の日本人なのです。
 それでは、日本民族は日本人という単一民族と解釈してよいのでしょうか。少なくとも、諸外国の様にあからさまな多民族国家ではないと思いますが、日本人もけして単一民族ではありません。アイヌの人々は独自の言語と文化を持っていましたからアイヌ民族と呼ぶべきでしょう。沖縄も琉球王朝がありましたので琉球民族でしょう。
 明治以降の教育により日本民族教育が強化され、テレビの普及により日本の単一民族化傾向は一層深まりました。今の日本人に「あなたは日本人ですか」と聞けば『私はネイティブのアイヌ民族だ』とか『私はネイティブ琉球民族だ』と言う人はいないでしょう。それほどまでに日本の民族統一化は進んだのです。
 しかし、日本という国家は戦前には沖縄の人々を内心では『土人』と軽蔑していました。アイヌの人々については戦後もしばらくは差別していました。また、戦前は朝鮮半島の人々も台湾の人々も差別や軽蔑しながらも皇軍兵士として駆り出していたのです。
 すなわち、日本国民という呼び方は国家による支配権の及ぶ人々の事で、日本民族という意味ではありません。
 
 日本民族の中を部族という視点で見ると、日本も多部族国家でした。誰もが知っているヤマトタケルの話は、九州にも関東にもそれぞれの部族がそれぞれに生活していたのを、ヤマトタケルが征服して天皇家の支配の下に組み入れた伝説です。
 私の約500年前の先祖は『菊池』という姓を名乗っていました。姓は自分の先祖の血を表します。菊池はヤマトタケルに滅ぼされた熊襲民族の中の菊池部族です。
 熊襲と呼ばれた一族は、騎馬民族である天皇家が渡来する以前から九州に住んでいたのです。ヤマトタケルはクマソタケルを女装して襲い、クマソタケルの尻の穴に剣を突き立てて殺害したのです。
 多分、北関東に住んでいたと思われる『つちぐも』と呼ばれた穴居生活の部族などは妖怪の類として扱われ、ヤマトタケルは焼き殺しました。それが当時の日本という国家を造り支配した天皇家のやり方だったのです、そして、ヤマトタケル天皇家の支配権の拡大をしたのです。ただ、日本人の好きな悲劇的な最後だったので伝説として残ったのでしょう。