放射能汚染は宮大工の言葉に学ぶべし。

 東大寺大仏殿修復の時に宮大工の棟梁が『樹齢千年の木で作った建物は千年もつ』とか『千年もつ建物に百年もたない釘は使えない』とか、よい言葉を語っていた。
 千年の木で五百年しかもたない建物を造っていると、いずれ山はハゲ山になってしまう。本体よりも寿命の短い釘を使えば、釘の寿命が建物の寿命になってしまう。
 原子力技術者は、この宮大工の言葉を心して聞くべきである。
 原子力を平和利用するにしても、放射性廃棄物の処理や貯蔵方法を考えて、適切な方法が見つからないのならば、手をつけるべきではなかったと思う。
 たとえば、プルトニュウムの半減期は約2万4千年だが、この時間に耐えられるだけの安全な保管技術はあるのだろうか。ステンレス容器ならば錆びないから半永久的に安全に保管できると言うかも知れないが、ステンレスの歴史は50年程度だから信頼性もその程度という事だ。それに、ステンレスは錆びる。鉄など他の金属と接触すると錆びるし、油が付いても錆びる。濃い塩水でも腐食する。
 そして何よりも、人間が2万4千年もの長い時間にわたってプルトニュウムの危険性を伝え、安全保管を続ける事などできるだろうか。ほとんどの日本人は江戸時代に自分の先祖が何処でどんな生活をしていたのかすら知らない。千年前の歴史など学問の世界だし、それが本当かどうかもよく判らない。約4千5百年前のギザのピラミッドだってメンテナンスされぬままに放置されている。2万4千年前の日常生活など歴史的に石器時代と呼ばれるだけで、当時の生活など空想の域を出ないのだ。
 昔の事が比較的伝承されているのは宗教の世界だが、あまりに特殊化し、ひどくデフォルメされているので正確とは言いがたい。放射性廃棄物の安全保管が数千年のうちに宗教の様に特殊化されてしまったら、これも危険である。
 第一、数千年経つだけで保管マニュアルは古代文字となり、保管システムに税金を投入するのを無駄遣いと嫌がるかもしれない。そうなると放射性廃棄物の保管施設は危険なピラミッドになってしまう。いや、ヒョットしたら危険という事も忘れられているかもしれない。
 現在、大量に蓄積された放射性廃棄物が人間の生活圏に出てきても安全なレベルになるには、2万4千年では足らない。一体何十万年安全保管しなければならないのだろうか。
 原子力技術者は一度立ち止まって宮大工の様な考え方をしてみてほしい。