エミは俺の運命まで左右する?。

 紗綾子さんと共に先輩の家に戻った時には、まだ先輩は帰っていなかった。奥様が電話すると1時間ほどで先輩が帰宅した。
 
「先輩。紗綾子さんのおかげでカルロスと冷静に話が出来ました。」
『おや~。ずいぶんスッキリした顔だな。良い知らせだったのか。』
「いえ、カルロスはエミが行方不明という事も知りませんでした。」
『そうか。何かありそうだな。落ち着いて話そう。ちょっと待っていてくれ。』
 
 先輩は着替えのために奥の部屋に行き、紗綾子さんと俺はリビングの長椅子の両端に離れて座った。普段着に着替えた先輩と奥様は俺の向かい側に腰掛け、紗綾子さんの方を見て『紗綾子は役に立ったのか。』と聞いたので、俺は思わず『役に立つどころか助かりました。』と叫んで奥様に苦笑されてしまった。紗綾子さんは静かに『カルロスがスペイン語で話しましたので、私は通訳いたしました。』と控えめに答えたので、またも俺は「紗綾子さんがいなければカルロスと喧嘩になっていましたよ。」と言ったので、奥様の失笑をかってしまった。
 先輩も笑いながら『オイオイ青木。夫婦漫才みたいな間髪入れぬ話し方はやめろよ。』と制したので、皆が笑い、俺は顔を真っ赤にしてうつむき頭を掻いた。そのため、紗綾子さんまでが顔を赤めて笑った事には気づかなかった。それからは、俺と紗綾子さんが先輩の質問に答える様に、話は行きつ戻りつしながら進んだ。時に俺のフライングで紗綾子さんと2人で答えてしまう事もあった。
 
『ところで青木。これからも恵美子さん探しをすつもりか。』
「探したいです。お爺ちゃんもいつ死ぬか判らないし。」
『お前が探すのか?。それとも、専門家に探させるのか?。』
「ヨーロッパ中を探すとなると仕事もあるので私には出来ません。言葉も不安です。」
『フランス語とドイツ語だけでは南は無理だな。』
「今回もそうでしたが、スペイン、ポルトガルはてこずると思います。」
『そうだな。フランス人はピレネーから南はヨーロッパじゃあないと言うくらい言葉も文化も異なる。どうだ青木。恵美子さん探しはこのまま放っておかないか。』
 
 先輩のこの一言に紗綾子さんと奥様が『それはひどいでしょう。』と加勢してくれた。先輩は俺をさとす様に、そして奥様達にも判る様に話し始めた。
 
『私は恵美子さんもカルロスと同じ様にどこかでピアノを弾いていると思う。それも1人ではなく、大小はあれ楽団に入ってヨーロッパを演奏旅行で回っていると思う。』
「俺も、引き出し窓口が転々としているのでそうだろうと思います。」
『恵美子さんがソロでも認められる実力ならば探すのは簡単だが、楽団員となると探すのは難しい。調査会社に頼めば金がかかり、個人で探すとなると仕事を辞めないと無理だ。青木、辞めて恵美子さんを探し当てても、恵美子さんは喜ぶと思うか。』
「さ~ぁ?。どうでしょう。」
『ところで、恵美子さんを探し当てたらどうするつもりだ。』
「親に知らせれば喜ぶでしょうが、エミを日本にはつれて帰れないかもしれません。」
『そうだろう。兄を大陸浪人にして、自分も夢を絶たれる。恵美子さんは苦しむと思うぞ。そして、日本に帰っても生きて行くすべがない。それから、お前もその先の生活目標は無いだろう。』
「辞めてしまえば復職は望めません。再就職にはキャリア不足です。」
『これは復讐に似ている。復讐ばかりに心を奪われ、復讐後に何も無いのと同じだ。』
 
 先輩の言葉に奥様と紗綾子さんはうなずき、俺は「しかし。妹が行方不明なのに探さないのは。」と言ったが、その先は続かなかった。
 
『私は、恵美子さんもカルロスも自分の音探しの苦しみに耐えている時だと思う。どちらかが先に新しい音楽性を見つければ、きっと2人の間で何か連絡をとるだろう。少なくともエールの言葉くらいはかけるだろう。』
「それは、あるかもしれませんが、見つからない不安も大きいですよ。」
『まあそれはそうだが、信じて待つしかないだろう。無理に探して恵美子さんもお前も未来を失うよりは良いんじゃあないか。』
 
 すると突然、紗綾子さんが『お兄様。青木さんの気持ちを考えていないのではありませんか。』と叫んだ。俺は紗綾子さんの激しい口調に体をビクンとさせてしまった。先輩も目を見開いて紗綾子さんを見つめ、そして『紗綾子にはどんな考えがある?。』と聞くと、紗綾子さんは『新聞広告を出してもよいし、調査会社に頼んでもよいでしょう。お兄様の考えは冷たいと思います。』と答えた。
 先輩は紗綾子さんをさとす様に『先ほども話したが、ヨーロッパでは人探しに金がかかるし確実性も低い。新聞に出しても、東洋人の人探しなど、金目当てのガセネタが多くて確認するだけでも大変な仕事になる。私の人脈で探す事もできるが、それを頼めば金ではどうにもならないほどの負い目を抱える事になる。』
 その言葉に『それでも何とかならないんですか。お兄様。』という紗綾子さんに、先輩は少し首をかしげて『紗綾子。なぜそれほど固執する。』と聞いた。紗綾子さん下を向いてしまったが、脇から見ても顔を赤くしているのが判った。
 
『いまできる最善の策は、カルロスを見失わない事だ。』
「先輩、判りました。ご恩になった先輩に迷惑をかけたくはありません。」
『私への恩など関係ない。お前が好きな様にすればいいが、好きにした結果が悪ければ元も子もないだろう。見つけた後の事を考えると、自然の流れを待つのも手段だ。納得できるなら、しばし待とう。』
「先輩の言われる様に、ここで無理して探してもエミは喜ばないと思います。日本に返してもピアノ教室を開くくらいで、エミは俺を恨むでしょう。今はカルロスから目を離さない様にします。」
『カルロスに近づくなら、紗綾子に協力してもらおう。』
「いえ、それはできません。」
『おいおい、お前もカルロスもフランス語は苦手だろう。それにスペイン語は判らないだろう。なあ紗綾子。協力してくれないか?。』
 
 先輩に水を向けられた紗綾子さんは『判りました。お兄様。今回の様にお役に立てると思います。』と答えながら俺の方を向いてうなずいた。俺としては紗綾子さんに迷惑をかけるのではないかと心配だったが、カルロスのスペイン語を思い出すと「ありがとうございます。お願いします。」と頭を下げるより他になかった。
 
 その夜は先輩の家で夕食をご馳走になり、帰ろうとすると『青木。すまないが今夜は紗綾子を送ってもらえないか。』と意外な事を頼まれた。いつも先輩が紗綾子さんを送るので、思わず「エッ。俺でいいんですか。」と聞き直すと『調べ物が残っているから頼むぞ。』と言われ、俺は初めて紗綾子さんを送る事になった。
 今までの先輩は、紗綾子さんの住まいを教えない様にしているのではないかと思えるほどに自分で送ったのに、今夜はなぜ俺に紗綾子さんを送らせたのか判らず、それが心の隅に引っかかってなかなか眠れない晩となった。