カルロスの苦悩。

 先に立って歩いていたカルロスは控え室にギターと花束を置いて、店の裏口を出ると直ぐに『エミはどうしているんだ。』と聞いてきた。俺が怒りでカルロスを睨みつけていると、紗綾子さんが『エミも行方不明なの。』と言った。カルロスはくず折れるように頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
 「おい。立てよ、カルロス。」俺のフランス語の問いかけにカルロスは首を振ってうなずいていたが、感情が高ぶったのかスペイン語で話し出した。スペイン語がほとんど判らない俺は紗綾子さんに通訳してもらうしかなかった。紗綾子さんは、時にカルロスにも聞かせる様にフランス語でも話した。そんな時は、俺もできるだけフランス語で話すという珍妙な会話になった。
 
『今もエミさんを愛してるけど、エミさんの方から去って行った。そうです。』
「紗綾子さん。信じられません。こいつがエミを騙したんだ。」
『エミさんと会ってからの俺はフラメンコギターを弾けなくなった。と言ってます。』
「カルロス。エミが悪いと言うのか。」
『エミさんは、フラメンコギターは音を弾き捨てていると言った。そうです。』
「エッ。意味が判らない。カルロス、エミはピアノの勉強をしていたんだぞ。」
『フラメンコのギター弾きは歌や踊りより目立ってはいけない。らしいです。』
「何を言っているんだ。フラメンコギターでなくエミがどうなったか知りたいんだ。」
『ダンサーはサパテア-ドやパリージョでギターの伴奏をせかせる。ギターが踊りについていけないと馬鹿にされるし、楽屋に戻れば蹴とばされる事もある。と言っています。』
(サパテア-ドは靴音。パリージョはカスタネット。)
「紗綾子さん。こいつ言い逃れ様としているんだ。」
『ギターは先走らず遅れずに、しかもサパテア-ドやパリージョのリズムで弾かなければならない。エミさんは、そんなフラメンコギターの弾き方では音が可愛そうだ。と言ったそうです。』
「だから、エミが去ったと言うのか。」
『そんな弾き方ならポルトガルのファドの伴奏がある。と教えたそうです。』
「なんだと。エミはポルトガルに行ったと言うのか。」
『多分。でも、エミさんからポルトガルに行くとは聞いていない。そうです。』
『エッ?。カルロス、何て言ったの?もう一度言って?よく判らない。』
『エミさんはセンコナビが好き。と言っているみたいです。何の事かしら。』
「センコナビ?。線香花火の事かな?。エミは線香花火が大好きだから。」
『エミさんはセンコナビをパソコンの動画で見せた。らしいです。』
「紗綾子さん。エミは子供の時に線香花火で火傷した事があるんです。」
『どうして火傷なんかしたんですか。』
「だんだん火花が飛ばなくなって、最後に火玉が落ちますよね。」
『線香花火の最後は物悲しい雰囲気がありますね。人生の様な情緒を感じます。』
「エミはあの火玉を手で受けたんです。それで手の平に小さな火傷をしました。」
『エッ、手で受けた!。でも判ります。線香花火を手で受ける感性。私にもあります。』
「音が可愛そう。とはエミらしい言葉だ。カルロス、初めは言い逃れだと思った。」
『今もエミさんを愛しているし、どこに居るか判れば俺が迎えに行く。手の平の火傷の痕も見せてくれた。思わず手の平にキスをした。そうです。』
「判ったよカルロス。フラメンコギターはエミの感性に合わなかったんだ。」
『エミさんはピアノの音の消えていくのを愛しんでいた。真似したらフラメンコのギター弾き達から馬鹿にされ、仕事に呼ばれなくなった。だからもうグラナダへ帰れない。そう言ってます。』
「カルロス。お前、線香花火の良さが判るのか?。」
『エミさんを愛しているから、エミさんの好きな物なら好き。だそうです。』
「紗綾子さんありがとうございます。俺一人で来ていたら言葉が通じませんでした。」
『お役に立てましたかしら。カルロスありがとう。あなたも辛かったのね。』
「カルロス。お前の話を信じるよ。エミなら言いそうな言葉ばかりだ。」
 
 店の者にとがめだてされない様に、カルロスとは店の裏で別れた。先輩の家まで行く間、不思議と心は穏やかだった。もし、紗綾子さんがいなかったらどうなっていた事か。カルロスのあの回りくどい話では喧嘩になっていたかもしれない。
 ところが、紗綾子さんのおかげで回りくどい話の中に、エミなら言いそうな話だと感じられる言葉が沢山あった。紗綾子さんには感謝しても感謝し足りないし、紗綾子さんの底知れぬ社交術の巧みさに驚き、年下なのに人間的には俺の数倍も優れた女性だと感じた。