スペインでの恵美子探し。

 8月27日。成田空港が夏休みの帰国組で込み合う頃に親父とお袋がマドリードに旅立った。そして、9月4日の早朝に親父からメールが来た。
 
マドリードの初日は日本大使館に行き、通訳兼運転手の紹介を頼み、翌日の午後までには手配してもらう事になった。昼間は闘牛など観光で過ごし、夜はフラメンコが観られるレストランと酒場に行った。そして、支配人など英語の判る者に『カルロス・モレーノというギター弾きを知らないか』と聞いたが何の手がかりも得られなかった。
2日目には通訳と3人で別のレストランに行ったら、そこの支配人は『ロマが多いのはアンダルシア地方だからセビーリャへ行ってみたらいいだろう』とアドバイスをくれた。スペイン人の通訳がいた事で意思の疎通が少しマシになった気がした。
セビーリャに2泊したが、カルロス・モレーノの情報は無かった。次はカディスへ1泊、その次はアルヘシラスへ1泊した。両方とも海辺の小さな町だったし、カルロス・モレーノの事も判らなかった。有名なギタリスト『アントニオ・カディス』と『ラモン・アルヘシラス』からの思いつきで小さな町へ行った事を悔やんだが、アルヘシラスはジブラルタル海峡の町なので、母さんはアフリカが見えると喜んでいた。
次に行ったグラナダでやっとカルロス・モレーノの事が判った。最初の日に入った岩窟のフラメンコレストランの店主が『モレーノの家族なら近くに住んでいるから明日会わせてやる』と言ってくれた。
翌日、店主と私達3人でカルロス・モレーノの母親の所に行った。母親は息子が最近は帰ってこないと嘆いていたが、私達が恵美子の親である事が判るとロマ語で怒鳴り始めた。通訳もロマ語は判らないので店主がスペイン語に直して、通訳が英語で私に話すというややこしい事になった。
怒鳴り声のほとんどが『悪魔』だの『魔女』だの『魔女の両親』だの『呪い殺してやる』というののしりの言葉だったが『息子は東洋の小悪魔と付き合ったおかげで村に帰れなくなった』という事と『もうフラメンコのギター弾きには戻れなくなった』と怒鳴っていた事も判った。
スペインに来たが、今は恵美子もカルロス・モレーノも行方不明という空しい結果しか得られなかった。とにかく一番早い飛行機を探して日本に帰る。お前がパリへ立つ前に1回会って話をしよう。
 
 親父とお袋でスペインに行っても、やはりエミは見つからなかった。貯金の引き出し窓口が転々としている事を考えれば、エミがスペインにいないのはお袋だって判っていたはずだ。それでも何とかしたいと、唯一の手がかりだったカルロス・モレーノを探しにスペインに行きたかったのだろう。
 エミがどんな暮らしをしているか判らないが、今は親父の言う通り貯金の引き出されるのを見るたびに『とにかく、恵美子は健康で生きている。』と思うしかないのだろう。