人間は食料を公平に分ける事ができない。

 『生き物は食料の限界まで増殖する』という原則からすると、地球上の生きとし生けるすべての種族は常に飢えているという事になる。すなわち、運よく食えた個体は明日に命をつなぎ、食えなかった個体はむくろとなって誰かの食料になるのです。
 古い研究ですが、猿の社会では上位の猿が生存には有利だろうと思われますが、自然の状態ならば序列の下位の猿でも飢え死にする事はありません。それは、皆が飢える状態では上位の猿が目こぼしをするからと考えられていました。その実証のために食料をふんだんに与える実験をしたら、上位の猿が目こぼしをやめて食料を独占しようとしたそうです。
 これに似た話は、本多勝一の『極限の民族(エスキモー編)』にも書かれています。真冬に隣人が無断で入り口近くの食料庫から自然冷凍でカチンカチンに凍っている肉をオノで切り取っても『泥棒!!』と騒ぐ事も、とがめる事もしない。すなわち、部落のすべての人々が飢え、死と隣り合わせで春が来るのを耐え忍んでいるからです。
 そこから導き出される結論は、世界中が食糧援助をしたところで、食料の集積地で大量の食料に目のくらんだ者が食料をくすね、本当に食料が必要な末端に届くまでにその量は大幅に目減りしてしまいます。また、飢餓に瀕した者達は少ない食料を分け合う光景を想像しますが、治安を失った飢餓地帯では餓死者よりも食料争奪戦による死者の方が多いのです。
 
 私の育ったのは敗戦後の食糧難の時代です。ある時、母が忙しくて私に順番を取っておく様にと言うので、私は米屋の配給の列に並びました。ところが、おばさん達が私の前に割り込んでしまうのです。そこへいつも優しくしてくれるお婆さんがやってきて私の後ろに並んでくれました。そのおかげで、おばさん達はお婆さんの後ろに並ぶ様になりました。
 母が来て「あんなに早く来たのに後ろだね。」と言うと、お婆さんが『あんた、このご時世だよ、子供だから馬鹿にしてみんな割り込んだんだよ。配給の日には何を差し置いてもあんたが来な。並んでも無くなれば配給してもらえないんだから。』と母に言いました。
 母がどう答えたか、その記憶はありません。私は役目が果たせず涙ぐんでうつむいてしまいました。みんなが食料を求めて必死の時に公平公正を求めるのは無理だと教えられた最初の記憶です。
 
 その頃の米屋はハカリでなくマスで米を量っていました。マスで量った方がてんびんバカリで重さを量るよりも時間がかからないから?。いいえ、違います。マスで量ると、ラップの芯ほどの太さと長さの摺りきり棒の使い方で、同じマスでも若干の誤差が出るのです。マスにすくった米を摺りきり棒で手前にこくか、向こうにこくか、こく時に手首のスナップで摺りきり棒をどちらに回転させるかで米の量が変わるのです。
 食糧不足の北朝鮮闇市になんであんなに食料品が出回っているのでしょうか。様々な所から様々な方法で集められた食料の横流し闇市が成り立つのです。まさしく、あれが食糧難時代の日本の姿だったのです。昔の日本でも、現在の北朝鮮でも、食糧不足なら食糧を取り扱う者は悪知恵をしぼって不正を働きます。
 
 そんな食糧難の時代でしたから、さぞかし餓死者が出たであろうと思われるでしょうが、餓死したのは公式記録では1人です。その人は法曹関係者で『闇物資を取り締まる立場の者が闇物資を買ってはならない』と配給だけで生活して死んだと言われています。すなわち、みんなが不正な闇市で食料を買っていたのです。
 そして、食糧の不正を制する方法はありません。それはシステムの問題ではなく、人間の倫理の問題だからです。『衣食足りて礼節を知る』の言葉の反対は『空腹は礼節を失う』なのです。