親父が退職して最高運営役員(COO)になる?。

 去年の8月下旬。藤原先輩にフランス語とドイツ語の会話に不自由しないようにしろと指示された。先輩の指示なので、ネイティブの先生に個人レッスンをお願いしてからほぼ10ヶ月。金はかかるし、フランス語とドイツ語の同時進行は厳しいし、くじけそうな頃に親父から電話があった。
 
『今年退職して社外取締役(COO)になる。そして来年は解任される。』
「ちょっと早い退職だね。常務になってまだ3年目じゃあなかったっけ?。」
『たしかに早いが、会社の都合だけじゃあないんだ。』
「何かあった?。専務と反りが合わないとか?。」
『お前には言ってなかったが、去年の秋から恵美子と連絡がつかない。』
「エッ。エミに何かあった?。」
『判らない。去年の11月に母さんは半狂乱でウィーンに行ってきた。』
「母さん語学弱いのに。それで判った?。」
『学校を9月26日に辞めた事しか判らなかった。』
「エッ!。じゃあ行方不明?。それとも。」
『行方不明だ。たまに送金先の銀行から金が引き出されているから死んではいない。』
「あいつ。何をトチ狂ったんだ!。」
『ワシも仕事に手がつかない。COOになれば、ほとんど出社しなくてよくなる。』
「追い出し工作じゃあないの?。」
『COOのポストに就くのは会社の温情だし、山口専務の心遣いだ。』
「どこが心遣いなんだよ!。」
『ヨーロッパで娘探しをしろという意味だ。』
「それが山口専務の温情?。」
『それと、お前の先輩も。多分、知っているはずだ。』
「エッ!。なぜ?。」
『こんな時、普通は退職だ。COOポストはお前と先輩の関係が絡んでいると思う。』
「1年だけのCOOは経済的支援という事か。」
『藤原は血族以外にも閨閥が多い。山口専務の奥さんも藤原の傍系の娘だからな。』
「僕も先輩の指示で去年の9月からフランス語とドイツ語を習っている!。」
『それはエミとは関係ない。エミの電話がつながらなくなったのは10月だからな。』
「でも、親父の話で先輩のフランス語とドイツ語の指示がすごく気になる。」
『多分、お前の先輩はパリに配転だろう。』
「何で!?。」
『最近、ユーロが不安定だし。ひょっとするとお前も連れて行かれる。』
「それで僕にフランス語とドイツ語を?。」
『ドイツ語も習えという事は、スイスにも行くからだろう。』
「まさか?。」
『それから多分。お前の運転で移動する事になるかもしれない。』
「イ~ッ。右側通行かよ!。」
『運転免許。忘れずに国際免許にしておけ。手続きは簡単だ。』
「ウン。」
『もう一つ。どこの国でも信頼は個人的付き合いで深まる。言葉は大切だぞ。』
「ウン。」
『だから、言葉と運転は困らない様にしておけよ!。』
「判った。」
『一番大切な事を教える。いつかお前の口の堅さが試されるだろう。しくじるなよ。』
「ありがとう。」
『ところで、2週間ほどしたら母さんとウィーンに行く。帰りは未定だ。』
「お爺ちゃんはどうすんの!?。」
『お前の銀行グループのケア付きマンションに行ってもらった。』
「それじゃあ、かわいそうだろう。」
『お前に爺ちゃんの面倒がみれるか。お前も近いうちにパリかも知れないぞ。』
「それは、パリへ行かなくても無理。」
『それから内緒だが、恵美子の夏の帰国は子供を堕ろしに来たらしい。』
「父さん!!。それ、本当?。」
『いやワシは気づかなかった。母さんの勘だ。あるいはエミが相談したかもしれない。』
「 ・ ・ ・ 」
 
 俺は息苦しい気分で何も言わずに電話を切った。
 エミの行方不明と堕胎の話はズシリと俺の心にのしかかった。エミは俺と違ってお袋の愛情を一身に受けていたはずだ。それなのに、お袋の愛情の濃さがエミには息苦しかったのだろうか。でも、なぜ愛のバリアーに穴を開けたくなったんだ。いくら考えても夢をあきらめた理由が判らない。ただ、ウィーン行きを決めた時に『お兄ちゃんが京都の大学に行った気持ちが判る』と言ったエミの言葉が鮮烈によみがえった。
 エミに比べると、俺は妹にかかりっきりのお袋が嫌いだった。親父は家の事には無関心だったので、子供の頃から俺はいつも家を出る事ばかり考えていた。だが、今日のサラリーマンの先輩としての助言には感謝した。きっと親父は小さな子供の扱い方が判らなかったのだろう。この歳になるまで俺は親父の愛に気づかなかった。
 フランス語とドイツ語の勉強にめげそうだった俺に、親父の推測は道しるべの様に未来を指し示してくれた。たしかに、先輩のパリ行きのカバン持ちに指名されなかったら『この銀行での俺のサラリーマン人生も主流を外れるのだ』と冷静に考える余裕が持てた。