親父も俺もかなわない相手。

 7月の株主総会の結果、親父は専務を逃し常務になった。専務になったのは親父の昔からのライバルだった京大卒の山口という男だった。
 親父に言わせれば山口は可も無く不可も無い目立たない男なので、筆頭部長を兼務した親父は、出世争いでは山口を完全に突き放したと思っていた。ところが、株主総会では5段跳びのサプライズ人事で山口は自分を追い越して専務になり、親父は2段跳びの常務に甘んじる結果となった。
 それから直ぐに、親父の会社のメインバンクから就職情報の封筒が届き、中を見て驚いた。会社案内ならば3年生の後半からボチボチ来ていたので慣れているが、時期も遅れて届いた会社案内は、すでに就職が内定したかの様な書類と、7月26日の10時に関西本社の秘書課まで来社を願う依頼書まで同封されていた。
 親父の会社のメインバンクではあるし、丁寧な案内状には秘書課長の氏名からプライベートと思われる携帯の電話番号まで記されているので無視するわけにもいかず、9時半には会社をたずね、会議室で秘書課長を待つように案内された。そして、ほどなく秘書課長が会議室に現れた。
 
「10時前にお伺いしてご迷惑でしたでしょうか。」
『いえいえ、早い訪問はビジネスマンの常識ですよ。流石に青木常務のご子息です。』
「ありがとうございます。あれほど丁寧な就職案内をいただけば自然とこうなります。」
『あなたには、ぜひ我が社に就職願いたいと厚かましく案内を送付しました。』
「失礼ですが、親父が無理なお願いをしたんでしょうか。」
『それはありません。勿論、青木常務にも私からお話をいたしましたが。』
「やはり親父ですか?私が国家公務員を目指していたのを知っていたはずなのに。」
『それは青木常務からも聞いていますが、推薦したのは藤原先輩です。』
「エッ。私の入学は、先輩が4年生の時ですから1年だけのお付き合いでしたよ。」
『よほど印象が強かったのではないでしょうか。』
「そういえば、秘書課長さんも藤原姓ですね。」
『そう。宗孝君とは親戚になります。』
「親父は常務でも、こちらの銀行の子会社の取締役でしかありませんよ。」
『いえいえ、この銀行の最大のお得意様です。』
「とはいっても、こちらはあそこの筆頭株主ではありませんか。」
『流石ですね。よくお調べで。そんなところを宗孝は気に入ったのかもしれませんね。』
「ところで、藤原先輩はこちらにいますか?」
『いいえ、今年の春にこちらの秘書課から札幌に移動しました。』
「そうですか。会えなくて残念です。」
『ご心配なく。話が一段落したら宗孝に電話する事になっています。』
『今かけましょう。』と言って秘書課長は携帯電話をかけ、俺に無造作に渡した。
 
「アッ。藤原先輩。お久しぶりです。」
『おう。来てくれたか。』
「まるで内定通知のような案内をもらったけど。俺、大蔵省を目指しているんですよ。」
『そうか。でも、俺はお前に仕事を手伝ってもらいたいんだ。役人は諦められないか。』
「先輩にそう言われると断りにくいです。でも1年しか私を見ていないでしょう。」
『馬鹿。栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し。だよ!!』
「考えさせてもらえませんか。親父も国立卒は公務員になれと言っていたもので。」
『オイオイ。幼少期の刷り込みに惑わされるなよ!!俺はお前と仕事をしたいんだ!』
「そう言われると、ますます断りにくくなります。」
『役人と違い民間企業は即決即断が重要だ。お前の力を最大限に生かせる仕事を選べ。』
「判りました。」
『それとな。今年の10月に結婚するからお前も出席してくれ。』
「おめでとうございます。」
リクルートスーツで来るなよ。黒のダブルの三つ揃えを買っておけ。』
「エ~ッ。」
『久しぶりにお前と話せて良かったよ。それじゃあまたな。』
「ありがとうございました。」俺は完全に大学時代の先輩と後輩に戻っていた。
 
 携帯電話を秘書課長に返して、俺は少し考えさせて下さいと言って銀行を出た。しかし、心の片隅では断れない話だと感じていた。そして翌日、教授に卒論の評価を聞くついでに就職相談もしてみた。
 
『それは凄い。藤原君の先祖は冷泉天皇とも関係のあったお公家さんだぞ。』
「ヘッ?公家?ですか。」
『藤原君に見込まれたのなら運命に従え。それと口外無用。勿論、私もしゃべらない。』
「よく理解できません?」
『関東の人は身分や血筋に疎いけど、関西には千年以上の中央政府の歴史がある。』
「奈良、京都に長い歴史のある事は判りますが、いまいちピンときません。」
『良し悪しは別として、関西では血筋と言うものが今も生きている。』
「血筋で結婚なども左右されるのですか?」
『当然だな。旧家であればなおさらだし、藤原君などは大変だろう。』
「実は結婚式に招待されました。」
『ナニッ!! ・ ・ ・ 着る物はあるか?少なくとも三つ揃えの黒ダブル?かな。』
「エッ。先輩もそう言いました。」
『当然だろう。 ・ ・ ・ 多分、学長は招待されるが、私は駄目だな。』
「エッエ~ッ。」
『彼の結婚式には財界人や政治家も来るから、人生の門出の良い勉強になるだろうな。』
「私の家とは違いすぎて想像もできません。」
『お前が嫌なら俺が出てやる。』
「エッ。」
『すまん。私とした事が ・ ・ ・ つい本音が出てしまった。』
「ハ~ァ。」
『もう流れに身を任せるしかないな。それと!絶対に口外するな!』と念を押された。
 
 この時代にお公家さんでもあるまいと思ったが、教授の驚き様に押されて夕方には秘書課長に承諾の電話をした。心の中では大蔵省の夢が崩れ、他人の敷いたレールに乗ってしまった後悔と肩身の狭さを感じていた。親父に嫌味の電話をしたら、やたらと『お前も山口の様に藤原の外戚を狙え』を繰り返されたので白けて電話を切った。