妹のピアノ部屋。

 俺が爺ちゃんの防音室に入れてもらってから間もなく妹が生まれた。俺が小学校に上がる前に、爺ちゃんはアパートに引っ越した。お袋の話では爺ちゃんがアパートに行くと言い出して引っ越したそうだ。爺ちゃんの部屋が空いたら、お袋は子供の頃からの夢だったピアノを買った。俺も初めのうちは面白がって弾いてみたけど、妹がピアノを習い始めたら、アッという間に追い越されたので今はピアノにさわる気もしない。
 
 妹が本格的にピアノを習い始めると、爺ちゃんの部屋は防音工事をして完全なピアノ部屋になった。そして、妹のピアノはお袋と2人3脚のお陰でみるみる上達し、うちの生活はいつの間にか妹中心になっていた。発表会があるとなれば1ヶ月も前からお袋はスケジュールを立てるし、妹にはドレスを買い自分も洋服を新調した。
 
 そんな妹とお袋中心の生活で、俺はどちらかと言えば放っておかれた。別にスネるわけじゃあないけど、そのお陰で大学に入ったら俺もアパートで生活しようと、早くから決心がついた。ただ、最近は爺ちゃんがこの家を出た理由が少し判る気がする。何となく肩身が狭く、何となく孤独なんだ。
 
『ケンちゃん。悪いけど鍋かき回してくれない?。』「俺がかよ。勉強してんだぜ!。」
『もう少し煮込みたいから、お願い!。』「エミにやらせなよ。女なんだから!。」
『もう直ぐピアノの発表会なのよ~。』「ハイハイ。判りました。」
「ピアノは俺の大学より大切なお袋とエミの夢だからね。」『嫌味はやめてくれない。』
「エミにはピアノ部屋があるけど、俺の勉強部屋は台所の脇でお手伝い付き~。」
『仕方がないでしょう。ピアノの練習はお隣から文句の出ない時間でないと。』
「あんなに金かけて防音工事したのに?。ご近所様はうるさいね!。」
『思い切り練習するのは夜の10時まで。一応マンションの決まりだから。』
「・ ・ ・ ・ ・」『・ ・ ・ ・ ・』
「ところでお袋!。これなに?。」『ん?。ボルシチの・・・・・つ・も・り・!。』
「心配だな~?。」『大丈夫!。作り方はエミのピアノ友達のお母さんに聞いたから。』
『味見してくれる?。ハイ小皿。』「エッ。俺が!。俺は毒見係りかよ~。」
『どう?。』「アッ。美味いよ!。お袋は料理の天才だな!。」
『ありがとう。そろそろ火を細めてくれる。後は母さんがやるわ。』
『それから、お袋って言うのやめてもらえないかな~。』
「う~ん。友達の中でお母さんて言うのはチョット恥ずかしいんだよな~。」
『男の子だもんね~。』「でも、なるべく言わない様にするよ。」
 
 親父もお袋も俺が大学に入ったらアパート生活をしたいと思っているのを知らない。だから、第一志望は京大、第二志望は慶応にしている。国立なら仕送りを頼めるけど、私立では家から通学できる範囲にするしかない。慶応だったらアパートへ出て行くのは2年生になってからかな。絶対条件は現役合格。浪人などしようものなら家の中での俺の立場はますます悪くなる。
 
 お袋の初ボルシチ夕食は俺には美味かったけど、エミは発表会が近いので何か落ち着かない様子だった。そのせいか、食後のコーヒーを飲んでいる時にお袋の些細な言い方が気にさわり、少しもめていた。毎度の事ながら喧嘩の原因はお袋の夢の先走りで、俺からみれば姉妹喧嘩みたいなもんだ。