課長の憂鬱な真実。

 私の鞄の中には様々なパンフレットが入っている。『太陽熱温水器』『珍しい熱帯植物のジュース』『健康食品やサプリメント』『電気刺激の健康器具』はては『新聞の勧誘チラシ』エトセトラ・ETC。
 私は小さな商事会社の課長。自宅から近間であれば日帰りで仕事に出るし、遠方であれば出張で数都市を回る。

 今週は静岡から名古屋への出張初日で、静岡市内を回っている。玄関のピンポンを押す時が1番緊張する。どんな方が出てくるだろうか。まず、外からお宅を拝見する。ア~ッ。道路から玄関まで遠いな~。防犯カメラも付いている。こういうお宅は893稼業の事もあるので敬遠して素通りする。駄目だ。このあたりはお屋敷町だ。昔は徳川様のご家来衆の武家屋敷だったかもしれない。他所に行こう。

 少し離れると新興住宅地に出た。安心して商売が出来そうだ。1軒目は体格の良い男性が出てきた。新聞の勧誘はすげなく断られた。2軒目は中年の奥様で『太陽熱温水器』を勧めたが、すでに付けていると断られた。道路から南側の屋根が見えなかった。
 何軒かは同じように商売にならないが、数軒目にピンポンを押したが人が出て来ない。ご在宅の様なのでお庭に回るとお年寄りのご夫人が縁側でお茶を飲んでいた。すかさず電気治療器のパンフレットを出して勧めたが、息子夫婦の居る時に来てくれと断られた。
 玄関先で断られたり、お庭先で断られたりしたが、お庭先から声を掛けてもご返事が聞こえない。ここでは8万円のご契約をいただいた。静岡市はなかなかご契約をいただけないので島田市に移動した。ここでもご契約は1件のみ。今日の契約金額は合計11万円になり、日も傾き始めたので掛川まで行って宿をとった。

 翌日は浜松市に移動し、2件のご契約をいただき豊橋市に移動した。幸運にも1日で5件のご契約をいただき合計48万円になった。満足して豊川で宿をさがし、翌日は岡崎市内と刈谷市内を回ったのに2件しかご契約をいただけず、合計7万円にしかならなかった。

 翌日の名古屋では4件のご契約をいただき合計65万円にもなった。こんなにご契約をいただける事はめったに無いので1日早く帰ろうと新幹線の切符を買おうとしたが、このツキを逃したくない気持ちになり、もう少し頑張ろうと中央線で諏訪に向かった。温泉に身を沈めて今日までのご契約額を計算し、明日はもう少し頑張って150万円の大台に乗せたいと思った。
 だが、諏訪の温泉はツキまで洗い流してしまい、ご契約は1件もいただけなかった。午前中で仕事を切上げ、夕方もまだ明るいうち帰宅した。

 女房は少し早い帰宅にビックリして、
 「あなた、ご飯までもう少しかかるからテレビでも見ていて。」
 『ウ~ン。1週間の出張だったので今日は一杯飲もうかな。』
 「アレ、旅館では飲まなかったの。」
 『ウン。ビジネスホテルが多かったし、お客様との懇親もしなかった。』
 「ふ~ん。」と言いながら女房は鍋を見る。私はワンカップの封を切る。
 「ねえ、あなた。明日はお客様とのゴルフだったっけ。」
 『あさっての日曜日だよ。少し朝早く起きなくっちゃ。』
 「何かつまみになる物でも出す?」
 『接待ゴルフだから粗相無い様に気をつかうな~。』
 「ハイ。お新香切ったわ。」
 『サンキュー。1度でいいから俺も接待されたいよ~。』

 娘から仕事で帰りが遅くなるとの電話が入り、女房も食卓に座って2人で夕飯のおかずをつまみに酒を飲む。そのうちリビングのソファーに移り、寄りかかりあう様にして酒を楽しんだ。
 妻の手が私の股間にかかったが、手は動かない。肩に寄りかかる女房が軽い寝息を立てているので布団に運ぼうとしたが、酒の入った私には抱きかかえる力が出なかった。仕方なくソファーに女房を寝かせて布団を掛けた。私1人が居間で寝るわけにもいかないので、布団をソファーの脇に移してそこに寝た。

 日曜の接待ゴルフは5時に起き、ゴソゴソと用意をしていると女房が起きてきた。
 『悪い。起こしちゃった?』
 「ウン。目が覚めた。でも、そこまで気をつかうなら昨日のうちに用意してよ。」
 『ゲッ。さいさき悪う~。』
 「さいさきじゃあなくて、準備が悪かったの。」
 『ごめん。その辺で許してくれ~。じゃあ行ってくる~。』

 ゴルフバックを後部座席に投げ入れて車を出す。とりあえず高速に乗り栗橋近くの利根川の河川敷に車を止める。する事も無いので背もたれを倒しカーステレオを聞きながら昼寝をした。日差しが高くなり暑さで目覚めると11時に近く腹もへっていた。
 どうしようか、何をしようかと思ったが、とりあえず昼飯を買いに車で国道まで出た。食堂も何軒か通り過ぎたが人と会いたくないのでコンビニで弁当を買い、また河川敷に戻った。弁当を食い、ゴルフクラブを汚すために河川敷で素振りをして帰宅した。

 「あなた、今日はどうでした?」
 『接待ゴルフで勝つわけにいかないからOBやパットで調整したよ。』
 「気をつかうわね。」
 『まあ、そのおかげで取引がスムーズに行くなら損はないよ。』
 「来週は東京周辺でのお仕事だったわね。」
 『うん。早く帰れたら、先週ご無沙汰だった分を取り返そう。』
 「うふ、でも ・ ・ ・ ・ 」
 女房が振り向いて抱きつき、そして「ほこり臭い」と離れた。

 月曜は横須賀線方面に出かけて1件のご契約をいただいた。火曜は京浜東北線方面に出かけて2件のご契約をいただいた。水曜は総武線方面。木曜は中央線方面。金曜は常磐線方面に出かけた。今週のご契約額は100万円にとどかなかった。

 私は鞄に様々なパンフレットを入れて、あっちの町やこっちの町を訪れ、玄関の呼び鈴を鳴らす。玄関に誰も出てこなければお庭に回り、商品の説明をする。お庭に回ってもお留守であれば、一応窓に手を掛けて開けてみる。窓が開けばお部屋に上がり引き出しを開ける。お金があればその一部をいただく。
 1軒での実入りは少ないが、全部いただくと警察に通報される。一部だけいただけば盗まれた事に気付かないか、気付くのが遅くなり、記憶は薄れて曖昧になる。窓を壊さないのも帰宅した人に犯行を気付かせにくくするためだ。

 私が小さな商事会社の課長である事を女房は信じている。学歴が無いから課長以上になれない事も理解している。給料が一部歩合制だから毎月手取りの変わるのも納得している。
 だが、娘も年頃になった。いつ結婚したいと言い出すか判らない。そうなったらどうしたらいいんだ。会社からの祝い金とか、同僚達のご祝儀とか。何よりも困るのは結婚式に会社の人を誰か呼ばないと不自然だろう。社長でなくてもよいから上司くらいは呼ばないとならないだろう。
 家族に事実を見せるわけにはいかない『小さな商事会社の課長』それが家庭での私の姿なのだ。