老いの兆候とボケの兆候は別。

  人間は自分の体が若いころの様に動かなくなった事や、体形の変化や筋力の低下で、案外と老いの自覚は早いはずである。それはまだ脳力の低下が少ないから自覚できるのだと私は考える。
  ところがボケは、脳力が低下して起こる現象だからなかなか自覚できない。それに、自尊心というものは、脳力が低下してもなかなか低下しないもので、下手をすれば脳力の低下に反比例して高くなるものなのかもしれない。
 
  6月1日のブログ『老いという逃れられないやまい』に、家庭内事故はボケの始まりと考えた方がよいと書いたが、もっと些細な事でも『これはボケの始まり』と考えて対策や対応を考えるべきである。
  たとえば、自宅でのつまずきや転倒。これは、筋力の低下だけでなく、注意力の分散や欠如であるかもしれない。同様に、炊事における火傷や怪我、それと後片付けで皿など割る事が増えるなども、大げさと思われるかもしれないが、脳力低下による気持ちの分散と考えた方がよいと私は考える。
 
  些細な事を大袈裟にと思われるかもしれないが、もし、これと似たような事が会社内で起これば、それはQC活動の議題となり改善策を検討するのが普通である。
  だがしかし、脳力の低下した人間は自分を冷静に見る事ができない。そして(たまたまさ)とか(注意が足りなかったかも)と安易で無責任な判断に流れてしまう。
  私はその時の状況をよく考えて、何か対策を考えるべきだと思う。しかし、すでに脳力の低下した頭では、そんな面倒くさい事はやりたくないのである。
  私は思う。よき老いとは脳力を低下させない事ではないだろうか。そうすれば、アクシデントに次善の策を講ずる事ができるはずである。でも、私には脳力低下を阻む策が見つけられない。(トホホ)