一週間ほど悩んでました。

  老いを自覚するのにも、楽しいというか面白いと感じてしまうものと、悲しいというか心配が増えるものがあります。
  私が楽しいと思うのはバランス感覚の衰えなどで、靴下を履こうとしてトントンと片足とびになる事などは自分でも苦笑する以外ありません。
  悲しく感じるのは、脳力の低下を感じる時です。少し前の事なのですが、寝てみる夢のストーリーが単純になっている事に気づいたのです。
 
  昔は、目覚めた時に夢で歩いた街の地図が描けました。メインストリートを行くと大きな公園に突き当たり、左側には教会があり、右側にはカフェがあります。
  そして、左に曲がれば教会に続き学校などの文教地区が開け。右に曲がればカフェの先には公園の池から流れる小川の石造りの橋の先に商業地区があります。
  若い頃は、そんな街並みの夢を何回もみました。そして、現実での経験が増えるほどに夢の街並みも成長していったのです。
 
  ところが、最近の夢には昔の様な具体的な街並みが出てこないのです。と、いっても街並みが無くなったわけではなく、おぼろになったのです。
  勿論、公園の前のカフェでコーヒーを飲む事もなく、商業地区で電気屋をのぞいたり模型屋をのぞいたりもしなくなりました。
  公園の池の端のベンチに座って遠くの山の風景を眺める事もなく、ボートに乗る事もなくなり、ただ街中にいる事だけを感じながら散歩だけした様な気分の夢になってしまったのです。
 
  歳を重ねて周囲への気配りが減ってきたのでしょうか。私はそうは考えませんでした。やはり自己の脳力低下と考えて、現実の生活でも自分自身の行動に気配りを欠かさずにすべきだと考えました。
  歳をとればとるほど、経験を重ねれば重ねるほど、人間は慣れで動く様になります。それ自体は悪い事ではありませんが、慣れというのは時に注意力が散漫になるという事でもあります。
  基本的には、脳力の低下を感じたら心の中であってもよいから『指差呼称』の気持ちを持ち続けなければならないと、あらためて感じたのです。
 
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