共謀罪ほど曖昧な法はない。

  共謀罪は、雑談まで含めてあらゆる通信を傍受し『組織的犯罪集団』による犯罪を未然に防ぐのが目的である。
  だが、本来的には『通信の秘密』という概念の下に、通信情報を積極的に収集するのは盗聴と呼ばれる犯罪的行為である。また、消極的に知ってしまった場合も、その内容を他にもらしてはならないというのが今までの常識であった。
  そもそも『通信の秘密』というものは、手紙や葉書などから始まった『信書の秘密』が元であり、それが電話や電子メールなどの新しい通信手段にも広く適用される様になった。
  簡単に考えてみよう。郵便配達人が偶然にも葉書の内容を見てしまった場合、それをベラベラしゃべって、偶然にも利害関係者が聞いてしまえば問題が発生してしまうのである。
  葉書で恋文を送る奴などいないだろうが仮にあったとして、その内容が恋敵に知れてしまえば、当然の事ながら恋の鞘当が起こるのは間違いないであろう。
 
  共謀罪を根拠とする通信の傍受は、古色蒼然たる今までの常識である『通信の秘密』を明らかに犯している。なぜならば、傍受した通信内容から国家権力が犯罪を摘発するという次の行動を起こすからである。
  私の専門であった電波法では傍受そのものは罪にならないが、その通信内容を何かに用いれば罪となる。(電波法には窃用してはならないと定められていたはず)
  当然の事ながら、共謀罪を適用する傍受は現時点で日本にいるすべての人々が対象となるわけであり、その中から権力者が情報を取捨選択するわけである。
  政府は『具体的な犯罪の疑いがない段階で捜査されることや、一般人が対象になることはない』と言っているが、一般人の中にまぎれた犯罪者達の通信内容から犯罪の発生を推測するという事は、すなわち、そこに捜査する者の判断が入るという事である。
  誰かの判断が入るという事は、一般人がいつ組織的犯罪集団の一員とされるか否かは、国家権力の意向次第という事になり、ある日、突然逮捕されるかもしれないという恐怖政治になりうるのである。
 
  最近は紙の新聞を定期購読する家が減ってきて古新聞がなかなか手に入らない。昔は新聞紙で尻を拭いたり、荷造りの緩衝材として新聞紙を丸めて詰め込むなど利用価値の高い素材であった。
  新聞紙を丸める作業は私もずいぶんやらされ、それは俗に『爆弾作り』と呼ばれていた。グシャグシャと新聞紙を丸めるとインクで手が黒くなる。そして出来上がるのが新聞紙玉である。手の汚れといい、新聞紙玉の形といい、漫画の丸い爆弾みたいなので『爆弾作り』と呼ばれたのだろう。
  そんな昔話を昔仲間にメールしたら、一般人の私も組織的犯罪集団の一員としてブラックリストに載せられてしまうかもしれない危険性があるのだ。それが共謀罪という、国民を一網打尽に監視する危険な法律なのである。
  昔から警察は「叩いてほこりの出ない奴はいない」となかば公言している。共謀罪はそれを更に強めてしまう法律なのである。