政治家は宗教家とどう戦うべきか。

  さて、政治と宗教を論じる場合、宗教は政治以上に普遍的規定が不明確である。私が考える宗教の最大の普遍的共通規定は『最高規範に反論を認めない』事だろう。
  そう考えると、共産主義が宗教を弾圧するのは、宗教が共産主義の最高規範を否定するからである。だから、共産主義国であったソ連は『宗教は心の麻薬』として弾圧した。
  さらに考えると、共産主義は宗教とイコールという事が判る。もちろん、極右思想も宗教とイコールと言える。
 
  明日はフランス大統領の頂上決戦で、EU支持のマクロンと右翼のルペンがしのぎを削っている。ただ残念なのはテレビ討論でも悪口の応酬しかみられなかった事だ。私にはこの選挙は、政治家が宗教家と論を戦わせている様で見るに堪えなかった。
  理論で宗教家を説き伏せる事は不可能である。なぜなら、宗教家の言葉は理論でなく感性なのだ。
  だから、宗教家の言葉に心を震わされた人々は宗教に入信する。しかし、感性の言葉が実務である政治を執り行う事は絶対にできない。宗教にできる事は教義に服従させる事だけなのだ。
  すなわち、非常に宗教家に近いルペンと戦うには、マクロンも感性で有権者の心を揺さぶらなければならないのだ。
 
  私は思う。フランス人の心を揺さぶる話は、フランス革命とEUを結び付けて語る事しかない。それが誇り高いフランス人の心を揺さぶる手段なのだ。
  現代の民主主義はフランス革命から始まったと言える。しかし、ルイ王朝の終焉がただちに現代の民主主義につながったわけではない。フランス革命後には凄惨な勢力争いがあり、マリーアントワネットの首を切り落としたギロチンはその後も首を切り続けた。
  すなわち、社会の変革期には勢力争いのゴタゴタが生じるものである。だから、マクロンはEUという経済圏の統一は経済だけにとどまらず、小競り合いと国境の取り合いに明け暮れて幾多の血を流したヨーロッパの政治的統一。ひいては世界国家のという理想世界を実現させるためであり、今はその途中経過であると言うべきであった。
  そして、フランス革命から民主主義を世界に広めたフランスこそがEUを統一し、ひいては世界国家の理想を実現できると言うべきであった。そうすればプライドの高いフランス人の大多数はマクロンを支持したと思う。
 
  国粋主義というものは大変判りやすいです。しかし、その底に流れる異端を許さないという思考は、教祖=専制君主と同じで反対意見はすべて死をもって潰されるのです。