千葉県の最高峰。

  先週木曜夜の日テレ地デジの『秘密のケンミンSHOW』で、千葉県の最高峰は標高408mの愛宕山という事で撮影に向かったが、航空自衛隊嶺岡山分屯基地内なので引き返して、かわりに鋸山が紹介された。
 
  私がCB350で嶺岡林道を走ったころは、あそこには直径10mくらいのパラボラアンテナが2基、南向きに設置されていた。
  じつは、そのパラボラは、ソ連ICBMを最短距離でなく、地球逆回りで打った時にICBMが太平洋の水平線から飛び出した途端に捉えるレーダー基地と言われたからだった。
 
  このブログを書く前に一応現状を確認しておこうと、グーグルアースで嶺岡山分屯地を見てみた。あの太平洋に向かっていた巨大パラボラは無くなり、パラボラがあったとおぼしき場所は更地になっていた。
  私がなぜ嶺岡山分屯地にこだわるかといえば、そこの工事を担当した先輩は10年間、郵便物はすべて開封されていたからだ。建設当時は本当に国家機密の工事だったのだろう。
 
  そういえば、私が買った歯科用ルーペも中国から国際EMSで送られてきたから開封されていた。仕方がない事と思っても気分の悪いものである。
  嶺岡山分屯地の工事にたずさわった先輩も、郵便物を開封される嫌な気分を10年も味わい続けたのだと、実感として理解できた。
(今だったら電子メールもあるからどうやって監視するのだろう?)

 
追記
  私が嶺岡林道を走ったのは、私が20代後半の頃ですから、西暦に直すと1970~1975年くらいです。この頃のICBMには核弾頭をコントロールする技術はありませんでしたから、核弾頭は宇宙から落下の法則に従う自由落下になります。
  着弾点は成層圏突入や落下途中の空力学的影響を受けて目標点をずれます。その頃のICBMの核弾頭の威力は10メガトンを超える威力でした。それは、ICBMの主目的が敵国の反撃を封じるために、敵のICBMのサイロの破壊だったからです。
  ですから、着弾点がサイロから1マイルくらい離れて爆発しても、サイロの機能を失わせられる様に巨大核弾頭を積んでいたのです。
  そして、現在の様な高度な迎撃ミサイルもありませんでしたから、宇宙空間を自由落下してくる敵の核弾頭の前で迎撃の核爆弾を爆発させれば、敵の核弾頭を破壊できなくても無力化したり、悪くても自由落下の核弾頭を爆風で吹き飛ばして着弾点からそらせてしまえるという荒っぽい防御方法だったのです。
  ですから、嶺岡山から水平線を見張っていれば、迎撃のミサイルを発射する時間はあったのです。