土地ころがしは役人の得意な業務。

  天皇家は今まで何回遷都をしてきたのだろう。私はすべての回数は知らないが、奈良時代は奈良の平城京が都であり、平安時代は京都の平安京が都であった。
  昔(大昔?!)は天災や疫病などがあるとゲン直しに都を移して『は~い。一から始めましょう!!』なんてやったんだろう。
  でも、遷都に隠された本意は貴族達の権力争いだったと私は思う。すなわち、遷都をめでたくも完了させれば天皇のおぼしめしが良くなる。それだけではなく、建設のための木材や資材は自分も出すが、敵対関係になるかもしれない新興勢力に建築資材の供出を割り当てれば、その勢力をそぐ事ができる。(これぞ元祖土地ころがし)
  だから、政治勢力が不安定な平安京以前は遷都が頻繁に行われ、天皇に次ぐNo2が藤原氏に確定した以降の平安京は1200年も続いたのだと私は思う。
(日本のエスタブリッシュメント藤原氏については小説モドキの『藤原先輩シリーズ』を読んでください。私が何回目かに勤めた会社での出来事を下敷きにしました)
 
  さて、ひるがえって現代に目線を戻すと、築地と豊洲問題がある。私にとってはどちらに魚市場が移ってもかまわないのだが、小池都知事が築地再建という案も検討している。それを受けて自民党があわただしい動きを見せた。私は『アァ、やはり土地ころがしだったか』と確信した。
  なぜ素人でも汚染された土地と判る東京ガスの工場跡地の豊洲を築地の移転先としたのか。私は『とにかく築地を更地にしたい』という、現代の日本のエスタブリッシュメントを自認する者達が築地の土地を欲しかったのだろう。
  魚市場が日本橋から築地に移った頃の築地は交通の便の悪い新開地だったし、日本橋は海に面していないという不都合な条件もあっただろう。だが今は、築地の周囲にはガン研や新聞社など利用価値の高い土地となった。すなわち、土地ころがしの価値があるという事だ。
 
  だけど私とすれば、築地は豊洲が耐用年数が過ぎた時、また築地に魚市場を戻すための土地として残しておくべきだと思う。
  伊勢神宮が20年ごとに遷宮を行うため、常に隣の土地を管理した先祖の知恵を忘れるべきではない。
  とはいえ、日本橋が海から遠くなった様に、豊洲が耐用年数を迎える頃には築地も豊洲も海から遠ざかっているかもしれないけどネ。(ゴミを埋めて土地となす。伊勢神宮以上の知恵だ!!)